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林子平(はやし しへい)により描かれた三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)は江戸時代の地理書の一つで1785年(天明5年)に刊行されました。
主に江戸時代の日本に隣接する三国、朝鮮(韓国)・琉球(沖縄諸島)・蝦夷(北海道)とその付近の島々について、風俗・風習などの挿し絵を入れて解説を施した本およびその地図5枚「三国通覧輿地路程全図」からなる作品です。
「三国通覧輿地路程全図」は、江戸時代の測量技術的に難しい地域である本州や四国、九州よりも遠くの地域についてはある程度あいまいに描かれております。
またその当時、地理学者である長久保赤水(ながくぼ せきすい)により経度および緯度線の入ったより正確な地図である「改正日本輿地路程全図」が既に普及しておりました。
鎖国中であった当時の環境下では、近隣諸国について知るために「三国通覧輿地路程全図」は重要な存在であったといえます。
林子平は同時期に日本が海外諸国からの脅威より身を守るため、武器や兵器などの必要性について説いた本「海国兵談」も発行しておりました。
しかし、寛政の改革を実行していた松平定信に目をつけられ、発禁・版木を没収され、同時に「三国通覧図説」も発行禁止の処分を受けました。
発行禁止処分を受けた「三国通覧図説」は、その後医師であり蘭学者でもあった桂川甫周(かつらがわ ほしゅう)により長崎からオランダ、ドイツへと流出しロシアにてヨーロッパのそれぞれの言語に翻訳され知れ渡ることになりました。
1872年にはドイツ人の東洋学者であるユリウス・ハインリヒ・クラプロート(Heinrich Klaproth)によりフランス語へと訳されています。
林子平は江戸時代後期の経済・社会思想論などを説いた経世論家であります。
尊王思想家である高山彦九郎(たかやま ひこくろう)、儒学者でもある蒲生君平(がもう くんぺい)らとともに「寛政の三奇人」(「奇」は「優れた」ことを意味する)の一人として知られています。
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