”浮世絵の始まりと流れ”でもご紹介したように、浮世絵は当初、墨の線だけで描く技法が中心でしたが、その後、筆で色が付けられるようになりました。
使われる色が増えるに従い、絵を大量に制作するために、筆で色を付ける技法に代わって、絵柄を木に彫って、それに色を付けて重ね刷りする「版画」の技法が生み出されました。
最初は2~3色しか使われませんでしたが、版画技術が進歩し、18世紀後半には多色摺りの浮世絵の技法が完成しました。 それまでは、庶民には高くて手が届きませんでしたが、版画技術の進歩により、木版画である浮世絵が大量につくられることが可能となり、庶民も手にすることができる大衆文化として、江戸時代後期には、浮世絵が大きく発展していきました。
浮世絵の木版画は1人の手で生み出されるものではなく、分業制で、絵師・彫師・刷師が協力し合い初めて1つの作品が完成します。
絵師が描いた図をもとに、彫師が版木を彫り、摺師が印刷を担当し、一般的に次のような手順で制作されます。
1.版元:作品の企画を立てる。
2.絵師:下絵を描く。版下用に下絵を墨で写す。
3.版元:出版許可の検印・版元印を押す。
4.彫師:版下絵をもとに墨板を彫る。
5.摺師:墨板から墨一色の校合摺をつくる。
6.絵師:校合摺に色を指定する。1枚に1色を指定する。
7.彫師:色ごとに版木を彫刻する。
8.摺師:版元、絵師が立ち会い、試験摺の後、初摺が完成する(一般的に200枚程度)。
9.摺師:初摺五の再版、後摺を行う。
浮世絵制作において、版元は特に大きな役割を果たしました。高名な版元として蔦屋重三郎がいますが、彼は、のちには最高峰の絵師と謳われた喜多川歌麿・葛飾北斎・東洲斎写楽らを発掘して、仕事を依頼したことでも知られます。
出来上がった浮世絵を販売したのは絵草紙屋という専門店や行商人で、筒状に丸めて客に手渡されたといいます。
浮世絵は、小説の表紙や挿絵、歌舞伎や相撲などの宣伝、白粉や紅などの化粧品の広告、かわら版の挿絵、暦などに用いられ、遊郭・芝居小屋などの娯楽施設から個人の住まいまで、庶民の生活の様々な場面で鑑賞されました。
また、地方の武士が参勤交代の際に江戸土産として購入するなど、地方でも鑑賞されました。