跡見の茶事とは主に朝茶や正午の茶事の後に、その会に参会出来なかった人や招かれてはいない客が亭主に「ぜひ拝見をしたい」と所望して開かれる茶事のことを指します。かつて正客が殿様や大徳寺のような大きな寺の偉い僧侶であった際、そうした正客と亭主への敬意をもち、めったにお目にかかれることのない道具や掛物の拝見を「ありがたいこと」と望んだ人々や、主客と近しいものの忙しく参席が叶わなかった人々が、その御跡(みあと)を席にしてもらい有難みを感じながら臨んだという茶事です。
文化十三年(1816『茶道筌蹄』(ちゃどうせんてい)文化十三年(1816)稲垣休叟の原文は以下のようになります。
「跡見は朝茶と正午の後に限る、夜咄には跡見なし、客は近辺まで来たり、何処にて御案内を相待と亭主方へ申入るヽ也、亭主朝茶午時の茶済次第花を残し、ケ様の節は初めの客に花所望したるも宜し、客方へ案内をなす、客は案内に随て露地へ入る、亭主炭を一ツ二ツ置添て炉中を奇麗になし、但し火未落ず釜もよく烹るな らば其ままにてもよし、偖水さしの前へ、袋をはずしたる茶器をかざりつけ、手水鉢の水をあらため迎に出る、但し露地へ水を打ず、客座につくとき、亭主茶碗 を膝の脇にをき、勝手口明、如例挨拶して、直様に点茶をなし、客は茶入茶杓をかへし、一礼して退出するなり、夫程に急なる事もなき時は、濃茶の跡にて炭をなをし、菓子を出し、薄茶を点るもよし、菓子ははじめに待合に出しをくもよろし、元来跡見の趣意は、遠方へ旅立をする日限急にせまる歟、用事繁くして、半 日の閑を得る事もならざるに、何とぞ此度の催に洩るヽ事の残念さよと、客方より乞ふ事故、誠に火急なる場合をたのしむことなれば、主客とも心得あるべき事也」
訳『槐記続編』という文献には「跡見ということは、御成り(お殿様など)ならでは有ることで、今の跡見ということは、今日お茶があると聞き、お残りがあるならば参りたいという儀である。それゆえ「今日のあとみ」という。また一つその儀あるべしとおっしゃるなり、古くは秀吉(豊臣秀吉)などの跡見といえば、いろいろな名品を御成りの為に設けるがゆえに、このたび見られないとまた見ることは難しいという心から、御跡を拝見したいという心が生まれた。それゆえ2、3人に限らず7~8人になることもある。その場合は路地に立つことと見える。今のたとえは数も大方極まり有れば、茶の残りを所望する意思が生まれる。跡見で大勢の時は、重子茶碗の作法がある。
原文「跡見と云ことは、御成ならではなきこと也、今の跡見と云ことは、今日御茶ありと聞し、御残りあらば参り度と云の儀也、それ故今日の あとみと云ふ、又一つ其儀あるべしと仰なり、古へ秀吉などの跡見と云は、色々の名物を御成の為に設けたるが故に、此度ならで又見んことも難かるべしと云心 にて、御跡を拝見する心なり、それ故二三人にかぎらず、七八人のこともあり、そのときは路次に立こととみへたり、今のは数も大かた極りあれば、茶の残りを所望する意なり、跡見にて大勢のときが、重子茶碗の作法あり」と記述があります
茶道具の拝見は、亭主の道具の取り揃え方のセンスだけでなく、道具選びを通して表れる亭主の人格を見るという深みのある発想とともに、道具を通して互いを知り、道具の造形や色、意匠に共感し合うことであるといいます。大寄席の際は置いたままで拝見し、茶事のさいは手に取って拝見するという、茶道においては客人が亭主に敬意を示すうえで大切な時間となっています。そのお道具の拝見を最も尊重する茶事は、跡見の茶事であると言えるのではないでしょうか。現代の茶道の稽古の現場では、跡見の茶事の開催は少なくなり、稽古で「跡見という想定でしましょう」ということがある様ですね。