小泉淳作の品を買取ります【2015年買取・新着情報】

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小泉淳作の品を買取ります

2015.9.17

小泉淳作の品を買取ります

小泉淳作はどの派閥にも属さず、生き生きとした力強い描線により密度の高い創作をしたことで知られる日本画家です。その表現について生前、小泉淳作は「リアリズム、写生を徹底している。勢いをつけるために徹底的な写生が必要だ。自身の作風について孤高と呼ばれるのは好きではない。それほどかっこいい事ではないからだ」と言っています。
陶芸家、デザイナーでもあり、お茶碗やデザイン、色紙などを遺しています。


小泉淳作の買い取りについて

小泉淳作の作品の全体像、サイン、落款、お茶碗であれば共箱と箱書きのわかるお写真をお問い合わせ・無料査定フォーム よりお送りくださいませ。
ほかにも幅広いジャンルの骨董品をお買取りしております、お電話よりお気軽にお

問い合わせくださいませ。



小泉淳作の生涯~その心模様を想像する~

1924年、小泉淳作鎌倉に生まれました。

立憲政友会所属であった政治家・小泉策太郎の七男であり、弟である八男・小泉博(東宝映画で活躍した俳優として有名ですね)とは特に仲が良かったようです。
小泉淳作は政治家の家庭であるという家柄において自己の苦悩がありながらも、師や、とりわけ音楽・美術・文芸・演劇と関わりの深い人々、それらを生業とする人との交友を謳歌しました。
小泉淳作は新鎌倉文士の一人でもあることから生前は 鎌倉ペンクラブに所属しており、鎌倉ゆかりの文化人とも交流があった模様です。そのように聞くとにぎやかに感じられる一方で、小泉は五歳のとき血のつながった実母を急死で失い、5000坪あった東京麻布の家から広尾の本宅に移り住みました。十三歳のときには、父・小泉策太郎が死去するという喪失を体験しています。胸の病を多く経験したこともあり、インタビューでの語りにおいては鬱屈した雰囲気が読み取れます。異母の兄弟姉妹が多かったようです。 小泉「突然知らない人を『お母さんと呼びなさい』などと言われて。敷地は約5000坪、部屋数が50もある家で、お手伝いさんと書生の間で暮らした」 と小泉淳作は父・策太郎や、家庭について振り返っています。 「父・策太郎は三申(さんしん)という号を持っており、その世界では有名な仏教美術の大変な収集家であり、論文や随筆を多く残しています」

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小泉淳作の心模様~美術の買取はいわの美術へ~

日本画家に手ほどきをうけて小泉淳作が入学したころの東京芸術大学では安田靫彦や小林古径、奥村土牛らが教鞭をとっていました。小泉は特に山本丘人(日本画家、文化勲章授章者)に惹かれて師事し、1952年東京芸術大学日本画科を卒業します。当時の同級生には平山郁夫がいました。戦争中の当時は「絵を描くなど国賊だ」と芸術に理解のない周囲から激しく非難されることもあったようです。

研究環境に恵まれたわずかな間、小泉淳作は傾倒する作家や作風もなく、様々なタイプの作品を見て回ったといいます。

蕪や白菜が描かれることの多い小品の額には強い黒が背景の画面から、屈曲し、立ち上がるように龍やモチーフが描かれております。

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小泉淳作は世の中の平和を尊び、陸軍士官学校時代に、厳しい生活に加えて結核を患うという苦渋の経験もあったことから戦争には強烈な嫌悪感を持っていました。

芸大卒後はデザイナーとして家族を養うために働きました。小泉淳作は北海道土産でおなじみの製菓店・六花亭で使用されている草花の描かれた包装紙などを遺しています。当時のデザイナーとしての職業生活にはストレスが絶えず、苦悩に満ちていたものの「デザインは人のため、絵は自分のため」と当時は日夜絵を描き続けて己を支えていたことを、「私の履歴書」(日本経済新聞、2011年8月)インタビューで語っています。湯呑をさがしたところ、納得できるものが見つからず作陶をはじめ、本格的に陶芸家としても活躍しました。しかし陶器は小泉にとり「芸術」ではなく「あくまで実用品」という実感だったようです。

北海道の中札内美術村には小泉淳作美術館もあり、代表作品やデッサンを見ることができます。
小泉は芸大を離れた後も長く日本画を描き続けており、1970年代に入ってからようやく日本画家として注目を浴びました。水墨画に新しさを見出し始めたのは50歳を超えてからのこと、東大寺の襖絵、リアリズム、写生を徹底してい小泉淳作に龍を描くことを依頼する内容であった建仁寺および建長寺の天井画は、遅咲きな小泉淳作の創作のなかでも最も重要な事でした。


小泉淳作の経歴

  •     小学校:慶應義塾幼稚舎(担任=吉田小五郎)
  •     中学校:慶應義塾普通部
  •     慶應義塾予科フランス文学科
  •     1943年(昭和18年) 4月 東京美術学校 入学
  •     1943年(昭和18年)10月 陸軍予備士官学校に応召
  •     1945年(昭和20年) 7月 結核にて帰郷し、療養
  •     1948年(昭和23年) 4月 東京美術学校 復学
  •     1952年(昭和27年) 3月 東京美術学校 卒業

主要な作品

  •    2000年 建長寺『雲龍図』
  •    2001年 建仁寺『双龍図』
  •    1984年 東大寺 襖絵(鳳凰4面、飛天4面、散華4面、桜12面、蓮池16面)
  •     『東大寺別当清水公照師像』

小泉淳作の美術を幅広く買取ります。

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