利休道歌(りきゅうどうか)
「利休道歌(りきゅうどうか)」は「利休百首(りきゅうひゃくしゅ)」ともいい、千利休(せんのりきゅう)の教えに初めて触れる方も覚えやすいよう、和歌の形にしたものです。
利休以前には咄々斎(とつとつさい)や武野紹鴎(たけのじょうおう)も茶の湯に関する百首を遺しており、そのすべてが100首の歌であるとは限らないのですが、それぞれの茶人の智慧が和歌の一つ一つにしたためられています。
茶道の稽古のための手持ち道具の中には、利休道歌が書かれた扇子がありますので隙間の時間に扇子を開くと利休道歌を憶える道具として役立ちます。
茶道手帳は茶の暦、茶会記を書くようにできており、辞書ほど情報量はないものの花押や代々の家元の名前を調べることができます。
茶道便利帳にもこうした情報がギュッと詰まっており、お茶を学ぶ方ならいずれかお持ちかと思います。茶道手帳や茶道便利帳は小さくて軽いため、持ち歩きながら気軽に茶の湯の心を学べます。
利休道歌 意味
さっそく利休道歌の一部を読みときましょう。各見出しは原文からの引用です。
"その道に 入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ"
この歌は利休道歌の最初に詠まれており、学ぶ者の心構えを教えています。茶道に限らず、学ぼうとする心をしっかり持つことが大切であり、自分で学ぶ姿勢こそが上達(じょうたつ)への第一歩であるということを示しています。
"茶の湯とは ただ湯をわかし茶を点てて のむばかりなることと知るべし"
まず、茶の湯は決して難しいものではなく、ただただ集中し、お湯をわかして茶を点て、最初に神仏(しんぶつ)に供え、茶をお客様に差しあげ、そして自分もいただくという一連の流れを極めることであるといっています。人間の日常生活をもとに茶の一期一会のもてなしが成り立っているということを教えています。このように「利休道歌」は、そのひとつひとつにうたわれている茶の湯の心をしっかりと受けとめていくことで、禅宗が説く「他の生き物の命を頂いて生きている」ということを教われるような段階まで、意識を深めていきましょうということを説いています。
"こころざし 深き人にはいくたびも あはれみ深く奥ぞ教ふる"
教える側の心構えを説く歌と言えましょう。志を高く取り組もうとしているひとには、教える側も真摯にこたえていきましょうという教訓です。学び、教えるようになることでまた教わることが増えるという体験をなさるでしょう、ということを示唆しています。
"はぢをすて 人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける"
本当に教わりたかったら、恥ずかしさや気おくれを捨て、どんな些細なことでも教えを請い、聞くことで歩みを進めることが叶うのだと説いています。教わっている際にどんな事があっても成長につながるよう、素直に「そうなのか」とできる限り受け止めて実践することは大切だということです。また、どんなことでも聞ける「師」を見つけることは上達のためには不可欠だということなのでしょう。
"上手には すきと器用と功績むと この三つそろふ人ぞ能くしる"
「上手」の秘訣は学んでいる事柄を好きである事が一番にあり、次に様々なことをこなし、自らの身の丈をわきまえ、適切に振る舞う力としての「器用さ」を身につけなさいということが伝わってきます。「功積む」とはただ鍛錬を重ね、そのことばかり考えるのでなく、その学びの活用によって周りに貢献することだと説いているのではないでしょうか。
茶道 本
「茶道便利帳」というアイテムがあると
- 「茶道のことをもっと知りたい」
- 「お茶の世界に触れたい」
という皆様の要望に応えてくれる善き事典となってくれることでしょう。季節の花を取り入れたり、ふさわしい掛け軸の選択をしたり、花押を調べることに役に立ちます。
「利休道歌」のような深みのある文章は、毎日読んでその日に心に留まった歌を手帳などに書き留めておくことで、その時々の心境を思い出したり、日々を生きる手がかりを得たりする手段になるかもしれません。
茶道具 お問い合わせ
いわの美術では一人ではお調べが難しい茶道具の査定を無料で行っております。
- 「木箱が2~3個だけ」
- 「木箱入りはないけれど段ボール数箱分」
- 「元は家族のもので押入れや倉庫にある。内容はわからない」
- 「木箱はないが道具を作った人の名前は分かっている」
様々なケースの茶道具の査定を承っております。
電話でお問い合わせの際は
- 茶道具のおおむねの数量
- 木箱に文字が書いてあるか
- 作家の名前が分かっているかどうか
これらの必要事項をお聞きしますので、教えて頂くと買取がスムーズに進みます。
また、茶道具の写真をメールでお送りいただく無料査定も行っていて、メールでのお問い合わせは査定担当の者が直に返信しておりますので、多くのお客様にご利用頂いている大変お勧めの方法です。