三崩し文様について
三崩し文様が使われ始めて間もない時代には、和算や易算に用いる算木を崩した様子から「算木崩し」「算崩し」と呼ばれていました。
算木というものは、和算(西洋の数学が輸入される前までの算術)でもちいた計算の道具で、室町時代末まで使われていたといいます。
易(うらないの一種)の八卦(はっけ)も算木を使って吉凶を占ったため、「八掛文」とも呼ばれています。いわの美術が査定を行っている古伊万里、茶道具にもちいられている八掛盆、香合、香炉など七事式のお道具、煎茶のお茶碗、煎茶道具の中にもこの文を使われているものがありますよね。易のお道具の算木の中にも、黒檀の品などで買取を望める場合があります。
「三崩し文様」は徐々に縦横に石畳文様のように算木を配列した数によって、「三崩し」「四崩し」「五崩し」というように展開していきました。ワラを網代に組んだ文様と似ているので、「網代組み」や「網代文様」とも呼ばれています。
三崩し文様が美術作品に表れている例
「極彩色今様うつし絵 美人仙人香」歌川広重 江戸時代 太田記念美術館
三崩しの文様の着物をまとい本を読む女性の姿が描かれています。
かつての神社には数学の問題を絵馬に書いた「算額」というものを神社に奉納する習慣がありました。
惣爪(そうづめ)八幡宮(岡山県岡山市)などをはじめとした全国各地の神社に和算の問題と共に当時の和算塾で和算を学ぶ様子を木の板に描いた「算額」が残っています。
(イメージは惣爪八幡宮、1861年奉納の算額です)