こちらの浮世絵の中では、網目文様は遊女の床入りの際の襦袢のような薄手の着物で着られている様子が描かれており、色町での顧客である「旦那」や「若旦那」の心をとらえるという商売繁盛のゲン担ぎもこの着物の文様の選び方に込められていたのではないかと感じさせます。遊女の足元には客への恋文を書くのに欠かせない書道具が入った文箱が置かれ、この女性の仕事終わりの午前のひと時を思わせます。
鳥文斎栄之は江戸に生まれた江戸後期の浮世絵師であり、 武家の細田丹波守三世の孫・時行の子として生まれ、名を時富・画号を鳥文斎といいました。自らの家督を弟に譲ったのちに狩野栄川院曲信に師事します。絵を描き続けるという憂き世とは離れた生き方を選び取り、 時の将軍であった徳川家治より栄之の画号を贈られました。1789年に隠居したのちも沢山の浮世絵を発表しました。鳥文斎は美人画や遊郭色町をえがいた作品を中心に、スラリと長身で健康的な印象のさっぱりした美人を描く画調とのびやかな線が一番の特徴となっており、江戸時代の当時は喜多川歌麿と並ぶ人気絵師として、歌麿とまた違う一派をなして一躍人気となりました。
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