紅茶の入れ方~MIFとMIA~
紅茶が先か、ミルクは後か?
イギリスでは紅茶を飲む時に「ミルクを先に入れるべき」派と「紅茶を先に味わうべき」派との意見のやり取りは100年以上行われており近代文明の雰囲気を知る入口になる話題の一つとして親しまれました。
- 紅茶が先であれば「MIA」Milk in After.
- 紅茶は後であれば「MIF」Milk in First.と表現されます。
紅茶とイギリス
イギリスは中国と茶葉の貿易を行い、グローバルな植民地化で富の獲得を推し進め、栄華を誇った歴史をもちます。一般の市場で紅茶の茶葉の販売が始まり、広い階級に紅茶が飲まれるようになったのは18世紀からのことでした。
17世紀中盤に「お茶を飲む」ということは王侯貴族が宮廷の社交でおこなうステイタスシンボル(イメージ2段目左、3段目右)あるいは資産家や新興ブルジョワの限られた人たちが「コーヒーハウス」と呼ばれた知識教養と情報を交換する当時の社交の場でたしなむような特別なことでした。イメージ3段目右の絵で貴族たちが使っているのは中国茶器です。この絵に描かれた1700年代当時のヨーロッパでは陶磁器の原材料となるカオリンが見つかっていなかったために作る事が叶わず、高額な中国の骨灰磁器を輸入していました。このことに陶磁器全般をさして英語で”CHINA”と表現される由来があります。
イギリスから始まりヨーロッパ全土に広がった「コーヒーハウス」はサロンの形式の一種です。世界史の学習でイメージ二段目中央にある絵とともに必ず触れるとおり「カフェ」の最初の形でした。
2段目の右イメージの絵はロンドンにあったコーヒーハウスの一場面を描いたものです。コーヒーをたしなんでいるのは男性だけです。当時「コーヒーハウス」への出入りと、そこで珈琲を飲むことは男性にしか許されていなかったため、帰宅が毎日遅くなる主人に憤った女性たちが自宅で午後のお茶会に招きあうという行動に出たことで、中産階級の婦人たちによる午後のお茶会の文化が盛り上がりました。
ちなみに現代の私たちが難なく食している砂糖も、19世紀までは大変な高級品で、20世紀では貴重品でした。1600年代、キャサリン・オブ・ブラガンザ女王は贅をつくした陶磁器のカップに注いだ紅茶にたっぷりの砂糖をいれてミルクをなみなみ注いで飲むという方法を世界で初めて編み出します。その後、茶室を作り、紅茶を飲む習慣を確立することで富と権威を示した1702年即位のアン・ステュアート女王はいわの美術も買取を行うブランデーが大好きであったことから「ブランディー・ナン」という異名もつけられていました。
イギリスの労働問題とティータイム
それぞれの階級を生きた近代イギリスの人々にとって、紅茶の淹れ方のこだわりに関する問答は心をくすぐる話題でした。
現在の資本主義の社会が出来上がっていくプロセスの中、商売で新興のブルジョワ:中産階級となることができた人々が出てきて生活習慣や文化の幅が広がります。鉄道の発達によって人々が都市へ移住したり旅行をすることが可能になります。そして豪華客船もこの時代に生まれました。これまで産まれた場所から短い距離の内で一生を終えていた人々の生活に長距離の移動という選択肢が加わります。1000人単位の人数の人の移動がこの時期からはじまりました。陶器や銀器の需要がうまれ、沢山の食器が生産され始めました。そしてヴィクトリア期(1837年から1901年)とよばれた景気の良かった時代には家事労働をメイドに任せる「余裕のある」家庭も出てきました。メイドを雇う側の家が家庭の秘密を近隣にばらされないようにするためにメイドは遠方出身の人物を雇うことが通常とされていました。メイドは屋根裏か地下室に暮らし、給料は薄給で雇い先の家庭からのもらい物がなくては過ごせない状況下にあり、休暇の許可をもらうことも少なかったといいます。少しでも良い待遇を求めて家を転々とするものも多くあったといいます。そうしたメイドたちの労働によって豊かな家庭のティータイムの習慣が支えられてきました。
そして、家庭によっては貧しさから子どもが働くという問題がこの時代からありました。
小学校にあがる前の年齢から
- 炭坑や工場での肉体労働
- 衣服や絨毯の原材料となる羊毛の糸を作る工場での労働
- 上流階級の家への家事奉公(メイド:Servant)
- などの労働をしなくてはならない子供たちがいた状況もありました。右のサーヴァントたちの写真の中には小学生くらいの年齢の女の子が映っています。
過酷な環境で労働する中で、こうした子どもたちが無事に大人になるまで生き抜くことは大変なことでした。日本で言えば、少し時代は遅れますが明治の「女工哀史」やドラマ「おしん」の前半部分のような状況が近いのでしょうか?八幡製鉄所など、明治期の工場が遺されている場所は、近年では近代化遺産として注目度が高まっています。
産業革命によって現代の私たちが当たり前に利用している水道、鉄道、電話、自動車の道路、郵便などのインフラが急速に出来上がっていきました。当時の人々にとって目まぐるしく変化する社会は、切実に望んでいた便利さが実現することの連続の一方で様々なトラブルもあったことでしょう。
しかしいつの時代もイギリスの人々にとってのティータイムは、バタバタした生活にひといきの休息と家族や友人との団らんをもたらし、疲れや気苦労から少しの間だけ人々の心を解き放つ時を与えたのではないでしょうか。
1700年代の終盤には、学者や政治家、社会改良家たちによって児童労働の実態が明らかになり子供たちの権利を守るためにしてはいけないことが定められます。イギリスでは1833年にようやく「工場法」が整備されました。ブルジョワの中でも上流・中流のブルジョワの家庭では、とくに婦人のなかに慈善活動に精を出す人々、福祉に関心を向ける人々、寄付を習慣とする人が確かにいたようです。
イギリスの社会福祉は産業革命以降に発生した衛生や住宅など人々の都市生活で発生した問題の解決を目指すことから始まりイギリスの歴史は他の国とも個性が異なった社会学者や教育学者を輩出しました。
紅茶の淹れ方・MIF対MIAの結論
紅茶にまつわる論争「紅茶が先かミルクは後か」は、2003年に英国王立化学協会が「一杯の完璧な紅茶の淹れ方」というエイプリル・フールのジョーク発表を行ったことによって「カップにミルクを注いでから紅茶を注ぐ方法こそがおいしいミルクティーのコツである」という結論が出されるまで130年という長さで議論が続きました。
上流階級の人々は、
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- コウルドン
- エインズレイ
- コールポート
- ミントン
- マイセン
- ロイヤルクラウンダービー
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- ロイヤルアルバート
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といった名だたるカップアンドソーサーのような、内側まで豪華な金彩絵つけの入ったボーンチャイナと紅茶の液色をゆったり愉しむためにMIA:Milk in Afterを主張する人が多かったということです。
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話を戻しまして労働階級の人々はMIF:Milk in First、ミルクは先派の人々が多かったといいます。
MIF派は陶磁器のカップに紅茶の茶渋が付くのを防ぐためにという話や、銀のスプーンがなくてもすぐにおいしく茶とミルクが混ざるようにと合理性を主張していました。このように、生活の中にある細かい感じ方や、価値観に対するはっきりした差異がよく現れるのが紅茶の飲み方であったということは、紅茶がイギリス文化にとって大変重要な要素であるという証なのだと思います。
イギリスの映画や小説に描かれた紅茶
イギリスの映画や小説の中ではMIF「紅茶が後でミルクは最初」とMIA「紅茶が先でミルクは後」の紅茶の淹れ方が細かく描き分けられています。煙突掃除をしながら歌を歌う場面が有名な、労働者階級の世界を描いた「メアリー・ポピンズ」で俳優は「ミルクが先」のMIFをしております。「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」という映画の劇中でも、非常に重要なシーンでサッチャー役のメリル・ストリープが紅茶を注いでいたり、紅茶を飲む演技の場面が出てきます。
映画「マイフェア・レディ」で、オードリーヘップバーンが演じているヒロインのイライザは、育ちが知れてしまう「コックニー訛り」を「クイーンズイングリッシュ」に矯正して素敵な淑女になった後の場面で、MIA「紅茶が先でミルクは後」の方式で紅茶を飲んでいます。紅茶を飲む場面は、有名なルイスキャロルの「不思議の国のアリス」のお茶会の場面やエミリーブロンテの「嵐が丘」の一場面「くまのパディントン」「ピーターラビット」「シャーロックホームズ」に、日本のファンも多い「ダウントン・アビー」といった作品にも紅茶が出てきます。紅茶の文化が最も盛りあがったヴィクトリア期の文学の中などを探してみる事も面白そうですね。
紅茶とジョンレノン
また、ビートルズのジョンレノンが地元の港町リバプールに住んでいた若いころ、ジョンが幼少のころから、実母・ジュリアの代わりにジョンの面倒をみていたミミ叔母さんは、ジョンを大切に育てて非常に厳格にしつける態度で接したといいます。ジョンは人生の厳しさをミミ叔母さんから初めて学び取りました。10代になったジョンはあるとき実母ジュリアのアパートメントの場所を突き止めます。ジュリアの部屋に立ち寄ってはジョンはジュリアからバンジョーの手ほどきを受けます。ジュリアは、あるがままを貫くことができる音楽の世界があることをジョンに伝えたのです。
ミミ叔母さんは、当時は「不良の音楽」だと言われていたロックンロールにのめり込むジョンと顔を合わせる度に「ジョン、ギターでは食べていけませんよ」と言うことが口癖となっていました。そんなある時、ジョンとの電話の中で「紅茶を入れるときは
温めたミルクを先に入れるようにしなさい。ミルクを温めておけば、冷めないミルクティーを飲めるのよ」と話したといいます。本当はミルクを温めると牛乳の臭みが出て紅茶の香りを打ち消してしまうということから永らくミルクティーのミルクには冷たい牛乳が用いられるのが通常であったのですが、MIF派のミミ叔母さんの着眼点は冷めない所にあったようです。
ずっとジョンに対して厳しかったミミ叔母さんが、成長して羽ばたいていく育ての子であるジョンに対して愛をもって接していたことがわかるエピソードの一つとしてこの場面をドキュメンタリー作品でみかけましたが何という作品だったのか、記憶があいまいなままです。
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