画業80年を迎え、今もなお新しい創作に打ち込み続ける日本画家 堀文子。いわの美術では、堀文子の作品買取を積極的に行っております。
堀文子は、自然の中に存在する命や花鳥をモチーフとする作品を多く制作する「花の画家」とよばれています。
大正生まれの堀文子は、女性も自立すべきであるという母親の影響で、父親の反対を押し切り、画家という道を志し、女子美術専門学校(現在:女子美術大学)の日本画部に入学します。そこで堀文子は、基礎から絵画を学び、在学中には既に新美術人協会展で入選を果たし、早くからその才能を発揮しました。
堀文子は、本格的に絵に取り組みはじめた最初期、ヨーロッパやメキシコへと渡った1960年代、神奈川県大磯へと移り住み、軽井沢にもアトリエを持つようになった1970~80年代、68歳にして伊トスカーナにアトリエを構えてから現在までに至るまで、その年代ごとに作風は様々な影響を受けて変化を遂げて行きました。
特に、ヨーロッパなどの歴訪を機に日本の美を再発見した堀文子の画風は、大磯に転居後は一変し、日本の四季や風景を澄んだ色調で描くようになります。2001年に堀文子は病に倒れますが、奇跡的に回復し、その後は、微生物や昆虫といった新しい画題、切り絵や貼り絵など新しい技法を試み、未知なる感動へと前進を続けています。
美術に自由を求めた堀文子は、官展からは距離を置き、権威に阿らない姿勢を貫いたため、これまで近現代美術史の流れで注目される位置付には、あまりありませんでしたが、堀文子の生き方や言葉は、作品の魅力とともに多くの女性たちの憧れを集めています。
堀文子の根本的テーマは一貫して自然風物であり、日本画特有の美しい顔料を素直に生かした、透き通った色感の細やかで優しい詩情が爽やかに流れる風景や花鳥を描いた作品はみる者を魅了して止みません。
特に「花の画家」と称される堀文子の花を描いた作品は、評価が高く、肉筆作品は市場でも高値で取引されています。また、リトグラフやセリグラフなどの版画も、作品により高価買取が期待できます。
堀文子の作品は基本的に印章は使用されず、「文」の書印のみが記されています。
堀文子作品の買取のご依頼・ご相談の際は、作品の写真の他、作品が堀文子のものであることを示す手がかりとなる「文」の部分の写真をお撮りいただき、買取査定フォームよりお送りくださいませ。
作品裏面の共シールや保証書などが付属していれば、買取査定の際、プラス評価となります。いわの美術では、日本全国で堀文子の作品買取を行っております。