燐寸と書いてマッチと読みますが、近年ではライターにとってかわり、すっかりマッチを目にすることもなくなってきました。その昔、マッチは大事な生活必需品であり、日本の重要な輸出品目のひとつでした。
そのマッチの箱に貼られているマッチラベルのことを燐票、マッチレッテル、マッチペーパーなどと呼びます。 今では手に入りにくいマッチが出始めたころの明治初期の燐票、つまり古票といわれるヴィンテージものは、特に熱狂的なコレクターがおり、いわの美術でも燐票に力を入れております。
マッチ箱に貼られている燐票は、古くは浮世絵師や絵馬師などが描いていたといわれています。
明治時代の日本でのマッチの生産量は、輸出分を含めて数十億個にものぼる一大産業でした。他国と比べて安価だった日本製のマッチは、中国やインドなどへも輸出され、当時は外貨を稼ぐ巨大市場として発展していきました。
輸出向けのマッチの燐票のデザインには、例えば、中国向けには道教的な吉祥絵柄や、インドにはヒンドゥー神話の神々など、現地の嗜好を反映させた図柄が用いられました。
また、日本国内ではマッチの品質の良さをアピールする燐票がデザインされ、のちにはマッチ燐票に百貨店や商船会社、薬などの広告として活用されるようになり、様々な意匠の燐票が生れました。
驚くほど多様な意匠がほどこされた燐票は、単なるパッケージデザインの域を超えた芸術作品ともいえ、現在に至るまでコレクターの心を掴んで離しません。
燐票は、3.8cm×5.8cmほどの小さなアートスペースの中に繰り広げられる芸術といえ、動物柄や植物、鳥、魚、キャラクターなど様々なものをモチーフに、驚くほど多様な意匠が施されています。
明治・大正・昭和初期の燐票は、切手や古銭と並ぶ蒐集アイテムで、燐票のデザインには時代の文化を反映させたものが多く、みる人を楽しませてくれます。
マッチラベル、すなわち燐票のコレクターは、愛燐家または燐票家と呼ばれ、彼らの間では、どんな図柄で、いつ、どれほどの製造期間、どのくらいの数を印刷して出回ったか…といったことから骨董的評価を決め、入手困難なものほど逸品と称して、一番の蒐集の対象にされてきました。
いわの美術では、戦前の中国輸出用の燐票や古い広告宣伝用の燐票など、まとめてお買取致します。芹沢圭介の型染燐票集などは高価買取致します。
コレクション整理など、ご売却予定の燐票がございましたら、一度いわの美術までご相談ください。