いわの美術でも買取の経験がある鷲田新太の作品は、全体的に画面が暗く、そこだけ時が止まったかのような作風で知られており、独自のグワッシュによる工場風景や俑人像、ピエロをモチーフにした作品を多く展開しています。
「幽玄の美」という言葉がその雰囲気に合っており、鷲田新太の作品を目の前にすると不思議な感覚が襲ってくる・・・そんな魅力を携えています。
一方で、明るい画面で鷲田新太の作品なのか?と思ってしまうような風景画も残しており、これらの作品の大半が群馬県桐生市にある大川美術館に収蔵されています。
そんな鷲田新太ですが滋賀県出身の画家で、中学校を卒業してから川端洋画研究所で初めて木炭デッサンを学び、春陽会展で初入選を果たすなど早くからその才能を見せておりましたが東京美術学校師範科受験に失敗してしまいます。
伊藤快彦の紹介で安井曾太郎に師事し二科展で入選すると美術雑誌『美之国』の編集員として編集の仕事に携わり、川端龍子にその能力が認められ、川端龍子主催の青龍社の運営事務にあたりました。
戦後から本格的に画家として活動するようになった鷲田新太は、ようやく71歳という年齢で初めての個展を東京と大阪で開催し、その独自の世界観は多くの人々を魅了しました。
そんな鷲田新太の作品をお持ちではないですか?いわの美術では鷲田新太の作品の買取を日本全国で行っております。
鷲田新太の作品にはお写真のようなサインが記されています。
「ARATA WASHITA」とはっきりと書かれていますので、知識のない方でも簡単に読み解く事ができるかと思います。
作品によっては「A.WASHITA」であったり、微妙な違いはありますがこの文字がありましたら、それは鷲田新太の作品かもしれませんので、買取る事ができます。
お問合せの際は鷲田新太のどのような作品なのか伝わるように、描かれているモチーフ、作品の大きさ、作品に使われている画材、シミや汚れの有無などをお伝えいただけると査定がスムーズに進みます。
特に鷲田新太の作品はグワッシュを厚めに塗っているため、ひどく乾燥した場所など、保管していた場所の環境によっては絵の具にヒビが入り、剥がれてしまう原因にもなってしまいます。
そういったお品物は高価買取であってもマイナス評価が付き、買取額が減額となってしまいますので、絵画などは大切に取り扱う事でマイナス評価を避ける事ができます。
また、共箱や共シールがご一緒の作品はプラスの評価となり、買取額がアップしますので、箱の処分をしたり、額の入れ替えを行った際は元の額を処分したりはせずに保管しておいて下さい。
その他、鷲田新太の作品買取でご不明な点がございましたら、お気軽にお電話、メールにてお問合せ下さい。