青山熊治(あおやまくまじ)は独特の色彩と筆遣い、ダイナミックな構図が特徴で、近代洋画の奇才と呼ばれました。
特に500号の大作『高原』は第7回帝展に出品され、あまりの作品の大きさと、この大きさを見事に描き切り、作品としてしっかりと評価できるところが青山熊治が奇才と呼ばれる所以です。
そんな青山熊治ですが兵庫県で生まれ、画家を志して17歳で上京し、東京美術学校在学中に東京勧業博覧会に出品した『老坑夫』で2等賞を獲得し、当時最も大きな美術団体であった白馬会の展覧会に出品した『アイヌ』は白馬会賞を受賞するなど、若くから画家としての頭角を現しています。
その後も初期文展で活躍を見せますが、ヨーロッパで技術を学ぼうと当時の渡欧する画家たちの主な渡航方法とは異なる満州からシベリア経由でヨーロッパを目指すという一風変わった選択をします。
しかし、これが思ったよりも苦難の連続で、旅費が足りなくなれば絵を売り、時には過酷な肉体労働を行って資金を調達していました。
そんな中、行く先々のスケッチは欠かさず行っていたそうです。
やっと念願のパリへ辿り着いた時には第一次世界大戦の影響で美術館は閉鎖されており、とても美術の勉強どころではありませんでした。
それでもルノアールやセザンヌの影響を受け作風に反映させた青山熊治は新しい表現を身に付けますが日本に帰る費用が捻出できず、なんとか友人の援助を受けて帰ってくる事ができました。
このような壮絶な人生を送った青山熊治の作品は帰国後に高く評価され、中央画壇で活躍するようになり、現在でも更に評価は高まり高価買取が期待できる作家の一人としてその名を挙げる事ができます。
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青山熊治は46歳という若さでこの世を去っていますが、人物画や風景画を多く残しており、お写真は以前いわの美術がお買取した夫人像です。
作品にあまりサインをしなかった画家ですので見極めが難しいのですが、いわの美術では豊富な知識と長年の経験を持つ鑑定士が在籍しておりますので、正しく判断する事ができます。
また、日本洋画商協同組合など鑑定機関が鑑定を行い発行した鑑定登録書は真作を証明するものですので評価がプラスとなり買取額は高くなります。
お問合せの際は描かれているモチーフや作品の大きさも重要ですが、鑑定登録書などの付属品の有無もお伝え頂くと査定がスムーズに進みます。
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