オーブリー・ビアズリーはイギリスのイラストレーターで、詩人、小説家としての顔を持っていた事で知られています。
ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在として評価される事が多く、悪魔的な鋭さを持つ緻密な白黒のペン画が特に有名で、作品を見た者からは鬼才と言われていました。
金銀細工師の息子として生まれたオーブリー・ビアズリーは幼い頃から絵の勉強をしていたわけではありませんでしたが、父親からは工芸家としての器用さを受け継ぎ、母親からは芸術に対する精神を受け継ぎました。
特に母親は音楽教師をしていた事からオーブリー・ビアズリーはピアノを学んでおり、学校に上がる前にはショパンを弾きこなしていたと言います。
7歳の頃には結核の兆候が表れ、通っていた学校を退学し、この頃から絵を描くようになりました。
その後は美術館に通って独学で絵を学んでいき、画家エドワード・バーン=ジョーンズに才能を見出され画家になる事を勧められるとウェストミンスター美術学校の夜間クラスに入っており、これがオーブリー・ビアズリーの生涯唯一の正式な絵の勉強でした。
マロリー作「アーサー王の死」の挿絵を依頼された事をきっかけに画業に専念するようになると、雑誌「ステュディオ」創刊号にオーブリー・ビアズリーが挿絵とともに紹介され、画家として世に知れ渡る事となりました。
こうしてオスカー・ワイルドの英訳の「サロメ」の挿絵を手掛け、文芸誌「イエロー・ブック」の美術編集をつとめるなど、画家として充実した日々を過ごしていましたが、オスカー・ワイルドが男色事件で逮捕され、オーブリー・ビアズリーは直接関係があったわけではありませんが、「イエロー・ブック」の美術編集を降ろされてしまいました。
才能にあふれていたオーブリー・ビアズリーですが、幼い頃に患った結核が悪化し、25歳という若さでこの世を去っています。
カリスマ的な魅力を持つオーブリー・ビアズリーの作品は100年以上経った今でも多くの人々を魅了し続けており、いわの美術ではオーブリー・ビアズリーの作品の買取強化しておりますので、ご売却をお考えでしたらまずはお電話、メールにてお問合せ下さい。
オーブリー・ビアズリーの作品はペン画ですのでカラーの作品はほとんど残されていません。
肉筆の作品や版画作品はもちろん買取る事ができますが、オーブリー・ビアズリーが美術編集を行ったイエロー・ブックや当時挿絵を担当した小説本なども評価して買取る事ができます。
その他復刻版の作品集なども人気がありますので、オーブリー・ビアズリー関連のお品物がございましたら、お気軽にいわの美術までお問合せ下さい。
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