日本刀の五ケ伝~相州伝【2016年買取・新着情報】

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日本刀の五ケ伝~相州伝

2016.2.28

日本刀の五ケ伝~相州伝


日本刀の歴史上、名工や刀工集団を輩出した五つの主生産地の伝法(作刀方式)を「五ヶ伝」といいますが、今回は五ケ伝のうち、相州伝(神奈川) について、専門家による見解をもとに説明します。


相州伝(神奈川)

相州伝は鎌倉時代中期以降、相模地方に発生した名工や刀工集団による伝法です。

源頼朝によって相模国鎌倉に幕府が開かれたことにより、鎌倉は武家の都となりました。


相州伝は、13世紀中頃、五代執権北条時頼が、山城国から粟田口国綱、備前国から一文字分派の三郎国宗、備前国福岡一文字助真、少し遅れて越中国から則重を鎌倉へ招いたことに始まります。


その後、登場したのが、新藤五国光です。新藤五国光は粟田口国綱の子とされ「鎌倉住人新藤五国光作 永仁元年十月三日」と銘をきった短刀(国宝・重要文化財)が著名です。

新藤五国光は、武士の気風に合った作刀を研究し、その門人には行光、郷義弘、五郎入道正宗がいます。

行光は、師の作風をより強化した作刀法を研究し、その子とされる正宗によって相州伝が完成したとされ、後の相州伝の基本とされました。


相州伝~特徴


相州伝初期の鎌倉時代末期から南北朝時代初期は、鎌倉に移住したそれぞれの鍛冶が出身国の鍛法で作刀していました。

南北朝の争乱期に入ると、時代の需要が身巾の広い長寸な刀へと変わり、硬軟の地鉄を組合せる鍛法が求められるようになり、 荒く強い、地沸つく迫力のある地鉄の鍛えがつくられました。


相州伝の姿は総じて輪反りで、木の板の模様に似た「板目肌(いためはだ)」が特徴です。

相州伝は高い温度で焼入れを行い、沸(焼入れによって刃境や刃中に生じた刃文の構成要素)により、地景、金筋などの地刃の働きを顕著にあらわした伝法を確立しました。


地刃に変化が現れるのは、炭素量が異なる鉄を上手に混ぜ合わせて適切な鍛錬を行っているからで、刀としての機能は優秀であったと伝わっています。

佛を強調した相州伝の作風は、他国の刀工に多大な影響を及ぼしました。南北朝時代に入り、正宗の名声が高まると、全国的に広がり、一世を風靡しました。


南北朝時代に最盛期を迎えた相州伝鍛冶の代表ともいえる鍛冶に、広光(廣光)がいます。広光は正宗門人といわれますが、その年代差から貞宗の門人であるとも伝わっており、「大倶利伽羅」が著名です。

大倶利伽羅 は、二代将軍徳川秀忠から、仙台藩・伊達忠宗に下賜され、以後、伊達政宗で有名な伊達家に伝来した太刀です。大倶利伽羅の名は、刀身に見事な倶利伽羅竜が彫られていることに由来し、重要美術品の指定を受けています。


相州伝の作刀は、強く鍛えた鉄を高温で熱し、急速に冷却するという、非情に難しい技術であったため、その技術を伝えることは非常に困難であり、南北朝期に興隆を迎えましたが、室町時代の中頃には、鎌倉幕府の衰えとともに、相州伝も急激に衰退していきました。

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