京焼・清水焼~仁阿弥道八・永楽保全【2016年買取・新着情報】

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京焼・清水焼~仁阿弥道八・永楽保全

2016.5.13

京焼・清水焼~仁阿弥道八・永楽保全


江戸時代中期に野々村仁清・尾形乾山の登場により、最盛期を迎えた「京焼・清水焼」は、後期京焼と呼ばれる江戸時代後期には、奥田頴川、青木木米、仁阿弥道八、永楽保全などの名工を輩出しました。今回はそのうち仁阿弥道八、永楽保全について美術専門家の著書をもとに説明します。



京焼・清水焼~仁阿弥道八

青木木米と同様に、奥田頴川の門下であった仁阿弥道八は、粟田口の陶工・高橋道八家の次男として生まれました。仁阿弥道八の父は松風亭と号し、煎茶の急須製作などで知られた人物です。


父の死後、仁阿弥道八は青蓮院出入となりましたが、清水六兵衛家など振興窯元が活躍する五条坂に移り住み、開窯しました。ここで仁阿弥道八は、染付磁器の量産を始め、醍醐三宝院から「阿弥」号を、仁和寺宮から「仁」の字を賜り、「仁阿弥道八」と名乗るようになりました。


その後は、紀州偕楽園、近江石寺、薩摩藩、高松藩、西本願寺などの御庭焼に出仕し、天保年間(1830~1844年)には、嵯峨角倉別邸で一方焼を興すなど、京焼技法の全国頒布に助力しました。


仁阿弥道八の作品は、磁器だけでなく陶器まで幅広く、時流に乗り、煎茶道具などの茶道具から、食器に至るまで多くの魅力的な作品が残されています。

また、仁阿弥道八は中国、高麗写しなども手掛けましたが、その本領は和様の追求にあり、仁清・乾山・光悦などを積極的に写し、世評を集めました。

さらに、「色絵寿老人置物」の作品にもみられるように、仁阿弥道八は、置物など彫塑的な作品にも才をみせました。

京焼の名工・仁阿弥道八は、関西では「仁阿弥」と呼ばれ、その茶道具は茶席において現在もなお大変な人気を誇っています。



京焼・清水焼~永楽保全


粟田口や五条坂などの旧来の窯業地を離れて活躍した永楽保全は、金襴手の名工として知られます。永楽家はもともと西村といい、家業は土風炉師でしたが、永楽保全は全(西村善五郎)の養子となり、製陶をはじめました。


十一代永楽善五郎を襲名したのは、文化14年(1817年)で、文政10年(1827年)には紀州御庭焼に出仕し、「永楽」「河濱支流(かひんしりゅう)」の印を下賜り、これが「永楽」の名の由来となっています。紀州徳川家から「永楽」の印を賜ったことにより、千家の茶道具を製作する千家十職の焼き物師としての道を拓きました。


永楽保全(十一代永楽善五郎)は、交趾焼、安南焼、金襴手など陶器・磁器の双方を手掛け、中国陶磁写し、仁清写しなどの茶陶を製作しました。

天保14年(1843年)には善五郎の名を息子の和全に譲り、善一郎を名乗るようになりました。 永楽善一郎を名乗った時代は、円熟期とされ「金襴手花筏文水指」など優品が多く生み出されました。


中国明時代の金襴手は金箔を用いていますが、永楽保全(永楽善一郎)の金襴手は金泥を用いているため、豪華で明るい仕上がりの作品となっています。

永楽保全は、近江膳所に河濱焼、大津に湖南窯を開き、また高規窯で作陶、さらに近江三井寺御浜御殿内に窯を開くなど、国内各地で作陶、開窯することで、中国磁器の写しが全盛であった京焼の技法広めました。

永楽保全の金襴手をはじめとする上品で華麗な独特な作風は、日本の陶磁器界にひとつの世界を築いたとして称えられています。

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