再興九谷とは【2016年買取・新着情報】

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再興九谷とは

2016.5.14

再興九谷とは


現在の九谷焼の原点となった古九谷は、18世紀初頭頃、突然廃窯となってしまい、廃窯後約100年は、日本の陶器といえば伊万里焼が主となっていました。

ところが、江戸時代後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことを機に、古九谷を生み出した加賀大聖寺藩でも、古九谷再興の動きが強まりました。そして、文化4年(1807年)に、加賀藩が京都から京焼の名工・青木木米を招き、金沢の卯辰山山麓に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に開窯されました。

これらの窯で焼かれた製品を「再興九谷」といいます。


小松で、のちに加賀藩の支配下に置かれた若杉窯、郡奉行の援助を受けた小野窯、名陶工・源右衛門による粟生屋窯、源右衛門に師事した松屋菊三郎による蓮代寺窯のほか、古九谷窯跡で開窯してのちに山代に移った吉田屋窯、吉田屋窯を受継いだ宮本屋窯など、数多くの名窯が開かれました。


再興九谷の窯は、古九谷の技法を受継ぎながらも、それぞれの窯の指導者によって新しい作風がうち立てられました。主な再興九谷の窯は以下の通りです。


春日山窯

京焼の名工・青木木米を招いて開窯された春日山窯は、弟子の本多貞吉らが受け継ぎ、全面に赤をほどこし、花鳥や人物を五彩で描く中国風の赤絵や青花などの日用品を製作しました。


若杉窯

小松若杉村の十村(大庄屋)林八兵衛が春日山窯の本多貞吉を招いて始めた窯で、のちに加賀藩の保護を受け、藩の特産品として量産されました。染付芙蓉手の皿、鉢、徳利などを主体とし、青手古九谷風の品も焼かれました。


小野窯

若杉窯の本多貞吉に師事した豪農・藪六右衛門が、小松小野村に開いた窯で、名工・粟生屋源右衛門、九谷庄三を招いて指導を受け、山水、鳳凰、牡丹などの赤絵細描画に、金彩や色絵を施した優品を残しました。


粟生屋窯

江戸時代後期の九谷焼の名工として知られ、京風の楽焼や器に白化粧をして色絵を付ける細工物や箪笥、飾り棚、硯箱などを得意としました。


吉田屋窯

古九谷最高を目指した大聖寺の豪商・豊田伝右衛門が私財を投入し、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築き、開窯したものです。のちに地理的に不便なため、山代に移り、明治初年までは、この窯を中心とした旧大聖寺藩領内でつくられたもののみが、九谷焼といわれました。

赤を使わず、主文様に地文様を配して上絵具を塗り重ねた重厚さが特徴で、茶陶や日用品を幅広く製作しました。


民山窯

春日山窯の廃窯後、加賀藩士・武田秀平が同地で始めた窯で、作風は春日山窯を受け継ぎ、赤絵細描に金彩や色絵を加えた精緻な製品が多くみられます。


宮本窯

吉田屋窯廃窯の後を譲り受けて、宮本屋宇右衛門が再興した窯で、赤で綿密に人物を描く赤絵金彩が特徴です。


永楽窯

大聖寺藩が設けた物産会所が京都から名工・永楽和全を招き、山代の宮本窯跡地に開いた窯です。

全面を赤で下塗りし、その上に金のみで彩色するなど、京風の洗練された意匠構成で、金襴手、呉須赤絵、万歴赤絵などの写しが焼かれました。


蓮代寺窯

京都の陶工・尾形周平や粟生屋源右衛門に陶技を学んだ松屋菊三郎が小松の蓮代寺で開窯したもので、研鑽の末、白磁に五彩の絵付けに成功し、それらの製品は青九谷と呼ばれました。


九谷庄三

再興九谷の中でも一挙に九谷焼の名を高めたのが、江戸時代末期に現れた九谷庄三でした。九谷庄三は、粟生屋源右衛門らに学んだのち、独立して寺井に開窯しました。

江戸時代末期に輸入された洋絵具を取り入れ、金彩も加えた彩色金襴の技法を考案したのが、九谷庄三の最大の功績とされています。明治期以降、輸出品として大量に生産され、「ジャパンクタニ」として九谷焼の名が一気に広まり、現代の九谷焼にも多大な影響を与えました。

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