茶の湯に使われる掛物【2016年買取・新着情報】

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茶の湯に使われる掛物

2016.6.4

茶の湯に使われる掛物


掛物鑑賞の歴史

掛軸に施される表装は、保存と鑑賞のために考案された方法ですが、その保存方法が考えだされたのは中国です。日本へは鎌倉時代から室町時代にかけて、中国の掛物が多く輸入されました。


日本の絵画や書跡もその頃から表装されるようになり、室町時代には会所などで掛物が盛んに鑑賞されました。

会所:日本の中世期に、公家・武家・寺社の住宅に設けられた施設の一つ。室町時代に発達し、歌会・闘茶・月見などのための会合に用いられた。


桃山時代には、小さい掛物は茶室の床の間に、大きい掛物は城などの書院でと、場所に応じて鑑賞されるようになり、江戸時代に入ると、富裕層の町人の家の床の間でも鑑賞されるようになりました。


武家社会の終わった明治時代以降も、床の間で鑑賞する習慣は継承され、限られた人々だけでなく、民衆の間でも掛物が鑑賞されるようになりました。この時代は、掛物を鑑賞することが一般的になり、それと共に日本の住宅には床の間が必須のものとなりました。 各家では季節ごとや祭事によって、掛物を替えるなど、掛物が生活に季節感と潤いを与える存在の一つでした。


しかし、戦後は生活スタイルも変わり、マンションなどの住宅形態も増えて床の間が減っていき、茶会など日本の伝統的シーンを除き、需要が減ってきているのが現状です。


茶の湯に使われる掛物


【中国の絵画】

茶会などで使われる掛物のほとんどは、十四~十五世紀にかけて日本に向けて大量に輸入された宋と元の時代の作品です。牧渓玉潤など、限られた画家の絵画が好まれました。


牧渓(もっけい): 宋末期から元初頭にかけて活躍した中国の画僧。卓越した水墨技法で幅広い題材を描き、特に茶の湯の掛物として人気が高い。

玉潤(ぎょっかん):牧渓とほぼ同時期に活躍したとされる中国の画僧。水墨山水画の名品「廬山図」「瀟湘八景図」を描き、日本にもたらされた当時は、牧渓よりも評価が高かった。


【中国の書跡】

中国の書跡も絵画と同様、宋と元時代の禅僧による作品が主に用いられました。日本の禅は中国の禅の流れを汲んでいるため、禅と関わりの深い茶の湯では、本家である中国の禅僧の書が珍重されました。茶の湯の掛物では、虚堂智愚(南宋末期の臨済宗の名僧)という禅僧の作品が好まれました。


【日本の絵画】

日本で掛物に表装するような絵画が描かれるようになったのは、十四世紀頃からで、茶の湯の好みにあう、雪舟や、狩野探幽などの絵画がよく使われました。掛物は床の間に飾ることのできる大きさに制限されるので、障屏画のような大作は使わず、小さなものが使われました。


雪舟 :室町時代に活躍した、日本の水墨画史上、最高の画家と称される画僧。画を相国寺の周文に学び、応仁元年に明に渡り天童山に参じ、帰国後は諸国を遍歴して数多くの作品を残した。「天橋立図」「秋冬山水図」など国宝級作品が数多く存在する。

狩野探幽:江戸狩野派の始祖。狩野派400年の歴史の中でも類稀な才能を有した同派随一の絵師で、画面の中に品良く納まる瀟洒な構成と余白を存分に生かした小気味の良い軽妙で詩情性豊かな表現を用いて独自の美の世界を確立した。二条城の障壁画をはじめ、多くの名品が伝世している。


【日本の書跡】

日本の書跡も、茶の湯の世界では十四世紀以降、禅僧のものが多く好まれてきました。禅僧の中でもそのほとんどが大徳寺の禅僧の作品に限られていますが、これはかつての茶人が大徳寺の禅僧について禅を学んだためと考えられています。

最も好まれたとされるのが一休宗純で、茶の湯だけでなく、多くの日本人に愛された禅僧です。江戸時代では千利休や小堀遠州、家元の書も使われるようになりました。

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