25年間にも渡って富士山を描き続けた画家、近代版画家の祖といわれている、萩原英雄。
只今いわの美術では、萩原英雄の木版画の買取に力を入れています。中古市場でも萩原英雄の木版画は人気が高く、高価買取が期待できます。お手元に萩原英雄の木版画をお持ちの方がいらっしゃいましたら、いわの美術までご連絡ください。
萩原英雄は、1960年に第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川近代美術鑑賞受賞し、1962年にはルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリを受賞するなど輝かしい実績がある作家です。また1979年から1990年まで日本版画協会理事長を務めていて、山梨美術館には彼の作品が多く所蔵されています。萩原英雄は、10代の頃から油彩画などで数々の展覧会にて入選をしていて、国際的な評価も高いです。このように実績実力のある萩原英雄の木版画は、版画の色彩表現の限界を超えた豊かな色彩で人気があり、中古市場では高値で取引されています。
荻原英雄の作品は、油彩、水彩、木版、銅板、墨彩、ガラス絵など様々な方法を用いて描かれています。それぞれの技法の研究を重ねて、各技法の特性を生かして『両面摺り』やオブジェ的に版を構成した木版凹版という新しい技法を生み出しました。元来、萩原英雄は、木版画という平面のものに油彩画の深い色彩を表現することを目標にしていました。伝統を重んじながらも、伝統に縛られない新しいことに果敢にチャレンジをし続けた画家です。
萩原英雄は、1913年に山梨県に生まれます。高校生のころに耳野卯三郎の元で油彩画を学びます。その後東京美術学校(今の東京芸術大学美術学部)の油彩画へ入学し、木版画や銅版画に触れます。卒業後は高見沢出版社で働き、ここで木版画に出会い興味を深めていきます。
萩原英雄は、富士山の絵を描く前は油彩画を主に描いて、海外から高い評価を得ていました。
しかし、40代のころに病気を患い入院しなければいけなくなります。萩原英雄は入院生活中でも作品を作り続け、それは70点にも及ぶそうです。また、入院生活中に、患者同士で絵を描きあって、「ピノチオ会」というものをつくりそこで発表しました。
身体が辛くても制作の手をとめず、なおかつ芸術で人との繋がりを広げていったのです。
萩原英雄は、療養生活以前は銀座で油絵の個展を開いたり、銅板画の制作を行っていました。もともと、高見沢出版社で木版画に興味を持っていて、療養中に友人への年賀状を木版画で描いたことをきっかけにして木版画の制作をし始めます。
療養後は、故郷である山梨から見た富士山を描きはじめ『三十六富士』の制作をはじめました。富士といえば、人々の生活風景と富士を描いた葛飾北斎が有名ですが、萩原英雄は人々の生活よりも、四季折々で姿を変える富士山を描きました。
萩原英雄の木版画作品には、上で触れた『三十六富士』のほかに、『ギリシャ神話』『石の花知シリーズ』などがあります。また、木版画以外にも、油彩、水彩、銅版画などもあってそちらもお買取りの対象になります。
高価買取が期待できる萩原英雄の作品ですが、モチーフや、色彩、などによってもお値段に差があります。また、木版画や銅版画であれば摺られた枚数や、その出来によってお値段が変わってきます。”●/●”と表示されているエディションナンバーがあるので、その分母の部分が摺られた合計数で判断できます。分母が小さい方が摺られた枚数が少ないので、買取の金額が高くなる傾向にあります。
もし、お手元に萩原英雄の木版画をお持ちの方がいらっしゃいましたら、メールか電話で一度お問い合わせください。