橋岡一路作 男面の一種、弱法師(よろぼし)の面
この面を見てどのように感じるでしょうか。
悲しみに嘆いているような…
喜びから少しにやけているような…
視点によって受ける印象が違うのは能面が「中間表現」を意識して作られているためです。
<無我の境地で「魂を打つ」>
現在から約1300年前に中国から伝来し、古くは猿楽といい風刺色の強い劇として庶民の間で楽しまれていました。
そして、江戸時代になると世阿弥が足利義光の庇護の下、能楽を芸能として大成させました。
能楽の象徴である能面は「彫る」ではなく、「打つ」という表現をします。
それは、彫り師が面に「魂を打つ」ということが由来しており、仕事には「無我」が求められます。能面を打つ際には写しであることが重んじられるためです。
「写し」とは時間の経過と共に損傷する面を、面打ち師が受け継いだ形そのままに新たに生み出すこと。
古くから受け継がれてきた名面と呼ばれる優れた面を蘇らせることにより面が途絶えることなく舞台で使われることが可能となります。
そのため、多くは個性を抑え、本面に忠実な写しを作ることが良しとされています。
橋岡の作る面は、この「無我」の美徳を忠実に受け継ぎ本面の汚れや細かい傷すら再現してみせます。この精巧なつくりが橋岡の作品の特徴です。
<橋岡の略歴>
橋岡一路は橋岡久太郎一門の能楽師の家に生まれ、七歳で初舞台を経験し。
当初は能楽師としてデビューました。
しかし、戦争により東京は焦土と化し、橋岡家の能舞台が焼失。
これをきっかけに、幼少期からものづくりが好きだったこともあり、美術学校(現東京藝術大学)に入学し彫刻を習う。5年後、畑吉宗の紹介で鈴木慶雲の弟子に入り面打師となりました。
橋岡の父は能家の継承を諦める代わりに2つの約束を取り付けた。
「1つ目が名面を50面打つこと。2つ目が能面を打つ際は演者のために打つこと。」
商売の道具として能面を打つことを良しとしなかったのです。
橋岡は今日に至るまでこの父との約束を守り続けています。
今後は70歳を迎えるまでに100面を打つことを目標としており、精力的に活動されています。
橋岡の代表作には「ヲモカゲ孫次郎」が上げられる。
その精巧な作りから高い評価を受けている橋岡一路の作品は高価買取が期待できます。
共箱の有無、作品状態の良し悪しによっては査定額に開きが出てしまいます。
茶道具、掛け軸、骨董品など能面以外にも上記2点は重要な査定基準となります。
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