田能村竹田は、1777年(安永6)に生まれた、江戸時代後期の文人画家です。
田能村竹田の掛軸は人気が高く、中古市場でも需要があるお品物になります。高価買取が期待できる田能村竹田の掛軸をお持ちの方がいらっしゃいましたら、いわの美術までご連絡ください。
田能村竹田は、岡藩典医の家に生まれます。医者の道には進まず、藩に仕えて藩政に努めたこともありました。37歳の時に隠居して以降京都などへ旅に出ながらさまざまな文人との交流を深めていきます。頼山陽、浦上真琴、や篠崎小竹などの大阪、京都を中心とした文人との交流のなかで、色々な画風を学びんでいきました。晩年はその技法を極め、緻密な描写の花鳥画や生き生きとした人々の表情などの人物描写は一見の価値があります。
代表作の『暗香疎影図』などの多くの作品が重要文化財にしていされています。
また、田能村竹田の掛軸は出光美術館、大分美術館、竹田市歴史博物館などの多くの博物館に所蔵されていて、芸術的価値や歴史史料としの価値が高く、中古市場で大変人気のあるお品物です。
文人画というと、学問を修めた偉い人が描いていてお堅いイメージがありますが、田能村竹田の作品はそういった文人画とは少し違い、優しいタッチで描かれているものも多く、文人画が苦手な方でも好きになってしまうでしょう。
特に田能村竹田の自画像は、ユニークでその佇まいの可愛らしさから顔がほころんでしまうような作品です。
細かい濃淡の描き方などは他の文人画家のお手本となるような秀逸な作品であったり、動物を描かせたら右に出るものはいなかった程素晴らしい筆致だったそうです。
<文人画とは>
職業画家が描く絵画に対して、文人(学問を修めた人)が余技として描く画のことを言って、中国の明代で定義されたものです。
日本では、江戸中期が文人画が一番盛り上がっていましたが、明治維新以降に評価が低くなっていき、衰退してしまいました。
花鳥画、山水画などが主にあり、文字と絵が組み合わさったものなどもあります。
高価買取が期待できる田能村竹田の掛軸ですが、残念ながら贋作も存在するようです。
いわの美術では、祇園南海、柳沢淇園、彭城百川などの田能村竹田以外の文人画もお買取りを行っております。
蔵の整理をしていたらいっぱい古い掛軸が出てきたという方、もしかしたらそこに高価買取が期待できるものが眠っているかもしれませんよ。
お問い合わせはお電話又はメールにてお受けいたします。
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