首、肩、下半身がしっかりとした健康的な美しい女性の大理石の像、こちらを作ったのは彫刻家の北村正信です。祖父は宮大工の北村喜代松で叔父に北村四海がいることでも有名な作家です。
北村正信の彫刻は中古市場で人気が高く、高価買取が期待されるお品物です。
只今、いわの美術では北村正信の彫刻のお買取りに力を入れています。
14歳のときに新潟から上京し、叔父の北村四海と一緒に暮らしながら四海の手伝いをしていました。また、この頃に太平洋画会で彫刻についても学び始めます。
1991年、第5回文展で『炭臺の男』で初入選を果たします。その後第12回まで連続で出品し続け、第12回の同展において『ひかり』が特選となり、この文展以降高い評価の証として無鑑査での出品が許されることになりました。
1936年に文展招待展で出品した『羞恥』という作品は、その芸術性の高さから文部省のお買上げとなります。
北村正信は、叔父である四海の教えを受け継ぎ、若くから才能を開花させました。四海亡き後は、北村正信が大理石彫刻界の先頭を独走しているかのようでした。
日展、文展、帝展などに多く作品を出品し、他の追随を許さない程の実力があったことなどから、中古市場でも人気が高くあり高価買取が期待出来ると考えられます。
<作家年表>
1889年 新潟に生まれる(本名:虎井友吉)
1903年 上京して叔父の北村四海と一緒に住み始める
1906年 北村四海の養子になり、5代北村正信を襲名する
1911年 文展で初入選
1918年 『ひかり』が同展で特選に選ばれる
1922年 33歳という若さで帝展の審査員に選ばれる
1936年 『羞恥』が文部省お買上げとなる
1980年 老衰のため亡くなる。(享年91歳)
北村正信の初期の作品には逞しい男性像もありましたが、後に女性像を中心に制作していきます。
北村正信は、華奢でか弱い女性というよりは、骨太でふくよかな肉付きの逞しい女性に美しさを見出していました。
北村正信の彫刻作品のうち特に女性の裸婦像は、重力で引っ張られる肉の重みを、見て感じ取れるように、肉体の描写が細かくリアティーがあります。このような表現は、解剖学を学び西洋の彫刻に親しんだ叔父の北村四海からの影響も大きかったのでしょう。
北村正信の作品のうち、中古市場で人気が高いお品物は裸婦像です。また北村正信の作品には、大理石とブロンズのものがありますが、大理石の方が高価買取が期待されます。
お問い合わせの際は、彫刻の大きさ、素材、共箱があるかなどについてお伝えください。
また、高額なものや口頭での判断が難しいお品物の場合には、写真を頂いての査定をさせていただきます。お写真は、HPのお問い合わせページから送ることができます。
いわの美術では、北村正信以外の作家の彫刻のお買取りにも力をいれていますので、その他作家の彫刻のお問い合わせもお待ちしております。
<対応作家一例>
高村光雲、北村西望、平櫛田中、平野千里、北村四海 など