連作でヒマラヤを描き続け『ヒマラヤの画家』として有名な福王寺法林。豪快かつ繊細な筆致が特徴的な日本画家です。
いわの美術では、福王寺法林の日本画のお買取りに力をいれています。福王寺法林の日本画は高価買取が期待できますので、お持ちの方がいらっしゃいましたら、いわの美術までご連絡ください。
福王寺法林は8歳の頃から上村廣成のもとで絵画を学んでいました。
1949年に『山村風景』で日本美術院展に初入選します。その後、今泉篤男や田中青坪からの教えを受け、腕に磨きをかけていきます。1955年の同展にて『朝』が奨励賞、白寿賞を受賞しました。この受賞以降、福王寺法林の作品は5年連続で受賞をしています。
54歳になると幼少の頃より憧れていた”ヒマラヤ”を描き始めます。初めて描いた『ヒマラヤ』は東京三越で開催されたヒマラヤ展で公開され、それがネパールの王様の目に留まります。
その縁があってネパールの王様が、ヒマラヤのスケッチの際に使うヘリコプターを援助してくれたのです。
王様に贔屓されるくらいに彼の作品は多くの人を魅了しました。過酷なヒマラヤでのスケッチを重ねて完成した『ヒマラヤ連峰』は芸術選奨文部大臣賞を受賞します。2004年には今までの功績を称えて文化勲章を授与されました。
多くの人から高い評価を受けていたことや美術界での権威の高さなどから、中古市場でも人気が高くあり、高価買取が期待できます。
福王寺法林の初めての師である上村廣成は、古典絵画に精通していた狩野派の画家です。狩野派の画家は先人たちの作品の写生に重きを置いていました。その影響からか、福王寺法林も普通の人の10倍は写生をしたそうで、その数は100枚近くにも及びました。
福王寺法林の絵画への気持ちは執念にも似た強い気持ちで、過酷なヒマラヤのスケッチにチャレンジし続けました。ヘリコプターの中であっても、低酸素で極寒であったため意識を失ってしまったこともあったんだとか。
『生きた絵画』と称される福王寺法林の作品は、ヒマラヤを見たことがない人でもその空気を感じ取れるように、ヒマラヤを肌で感じて命をかけた彼だからこそ描けた作品なのでしょう。
福王寺法林は、画家として大成する前は兵士として壮絶な戦争体験をしていました。過酷な戦時下であっても、生きる希望を忘れなかったのは、絵画への強い思いがあったからでした。
福王寺法林は、戦争へ行く前に大枚を叩いて岩絵具を買って縁の下の土の中に隠していました。戦争から必ず生きて帰って、高価な岩絵具を絶対使うという強い意志をもって戦場へ向かったそうです。実際の戦場は、靴が破れても歩き続けなくてはならず、ついには足の骨が露出してしまう、それでもなお歩き続けたという過酷な中で、岩絵具を思い返しては奮起したのでした。
「生きて絶対あの岩絵具を使うんだ」といのは、彼の場合、生への執着というよりは画家魂だったのです。
福王寺法林は、『ヒマラヤの画家』と呼ばれているように、ヒマラヤを描いた作品が中古市場では人気が高いです。また、ヒマラヤの他にも富士山を描いた作品も数多くあり、そちらも中古市場で人気のあるお品物です。
また、たとう箱などの付属品が一緒にありますと査定評価にプラスになります。
高価買取が期待出来る福王寺法林の作品ですが、絵画の状態や、モチーフ、大きさなどによってお値段に差が出ることもあります。お問い合わせの際は、そちらに関してお伝え頂くか、口頭での判断が難しい場合には写真での判断をさせていただいています。
福王寺法林の日本画をご売却の方は、絵画買取の実績が多い、いわの美術におまかせ下さい。