こちらは、15代沈壽官の薩摩焼の『籠目総透』香炉です。
品格のある総透かしの白薩摩、非常に細かな彫りの技巧に思いを巡らせながら、錦手の美しい色合に見入ってしまいます。
只今、いわの美術では沈壽官の薩摩焼のお買取りに力を入れています。ご売却をお考えの方はいわの美術にご連絡ください。
沈壽官窯は、400年以上の歴史を持つ薩摩焼の宗家です。豊臣秀吉の政策の一つである”朝鮮出兵”によって、連行された朝鮮の陶工たちの中に沈壽官の初代沈当吉がいました。初代は、薩摩に移り住んだ陶工たちのリーダーとして活躍していました。
12代沈壽官は、透かし彫りの発案者と言われていて、その作品はパリ万博に出品されると、その美しい作品に多くの人々が魅了され、世界に「沈壽官」の名が知れ渡りました。
現在は、写真の作者の15代が沈家の伝統を受け継いでいます。
沈壽官窯は、鹿児島県の日置市にあり、現在30人の陶工が在籍していています。土作りから、ろくろ、釉薬、絵付けと分業で行っています。伝統的な登窯・電気窯・ガス窯を使用していて、15代沈壽官がその使い分けの指揮や、作品のデザインを考えています。15代は、沈壽官窯の運営をしながら、自身の作陶活動も精力的に行っています。
15代沈壽官は、早稲田大学卒業後にいったんは一般の企業に就職することも考えましたが、陶芸の道に進むことを決意します。その後、京都市立工業試験場、京都府立陶工高等技術専門学校を終了し、イタリア国立美術学校に留学します。卒業年には、ベルナルド・コンペティション(フランス)で入賞をします。卒業後も、チルコロ・フィオーレ(イタリア)で入賞をするなど、順調に功績をあげていきますが、実はこの頃、陶芸における表現について思い悩んでいたのでした。
この頃、15代沈壽官は自身の作品を「既存のデザインとデザインをつなぎ合わせているだけで自分のオリジナルがない」と考えていました。表現をするための技術は身に着いていても、その核となる ”意志” がなければ先人の真似になってしまうと、厳しく己の内面と向き合いました。
その後、15代襲名展や、大韓民国ソウル「世界EXPO2001」に出品、またパリでの展覧会を成功させていきます。
15代沈壽官の、磨き上げられた表現の核となる”意志”と技術が、今日、多くの人々の心をつかんでいるのでしょう。現在、日本の百貨店などで展覧会がたびたび行われ、多くの人々で賑わっています。
まだ十分に水分が残っている状態に、いくつかの道具を使って模様を切り出していきます。専用の定規で文様を割り付けたら、まず小さい孔をあけ「剣先」と呼ばれる刃物で丸い孔をあけます。その後で、文様の輪郭を彫っていきます。
いくつかの段階を経て彫られる文様は、表はもちろんのこと裏から見ても模様が整然としているようにするために、指に全神経を集中させて一つ一つを切り込んでいきます。
彫っている最中は、削っている部分が他の部分よりも早く乾いてしまいます。しかし、湿度が一つの作品でバラバラになってしまうと、歪みや切れの原因になってしまうので、湿度の管理もしなければなりません。
大変手間のかかる作業で、例えば、15代沈壽官が自ら制作した香炉の透かし彫りには、1カ月もの時間を費やした程です。見た目の美しさもさることながら、陶芸への誠実な思いも作品から伺い知れます。
沈壽官の薩摩焼は、中古市場で人気が高いため高価買取が期待できます。沈壽官は、花瓶、香炉、抹茶碗、皿、酒器などの作品を作っています。
花瓶、抹茶碗、透かし彫りの作品は特に需要が高くあります。図柄や文様、大きさ、共箱や栞などの付属品の有無によってお買取りの価格が変わってきます。
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