佐伯岸駒は、『岸駒の虎』と呼ばれ、動物の描写に優れた江戸時代の絵師です。
現代の日本では、虎などの動物は動物園で生きた状態で簡単に目にすることが出来ますが、佐伯岸駒が活躍した時代には大変困難なことでした。中国で発見された虎の足や頭部などを入手して、それを元に虎の絵を描いたそうです。
岸駒は、虎の毛並みが一方向でないことや、歯の本数、足の関節などの細かい部分まで解剖学的な視点から虎を描写していきました。岸駒以前の日本における虎の絵は、中国から伝来した虎の画に影響を受けたものが多かったので、岸駒のリアルな描写に基づいた迫力ある虎の絵は人気を博しました。
写真で掲載しているのは、以前に弊社でお買取りさせて頂いた岸駒の孔雀を題材とした掛軸です。いわの美術では、こうした古い時代の絵師の掛軸のお買取りにも力をいれていますので、ご売却をご希望の方がいらっしゃいましたら、いわの美術にお任せください。
佐伯岸駒は宝暦6年(1756)に生まれます。出生の詳細がわかっていないので、寛延2年(1749)という説や、出生地に関しても現在の富山県もしくは石川県の出身など諸説あります。
幼少期の生活はかなり苦しかったようで、絵や字を習うのに師につくことが出来なかったため、字は町中の暖簾や看板で覚えました。4歳の時にオウムの絵を描いたのが最初だと言われています。12歳の頃には、染め物屋に奉公し着物の紋や裾模様の白抜きに色をさす作業をしていました。
25歳の頃に画を極めるため京にのぼります。その頃京都では円山応挙が名を馳せていたため、佐伯岸駒の作品にも、円山応挙の影響を見て取れます。
京都で画力を上げていった岸駒は、1784年に大きなチャンスを掴みます。それは、四親王家の一つである有栖川宮家の障壁画を頼まれたことでした。これをきっかけにして、絵師としての出世をしていきます。1801年(享和元)には朝廷人として儀式に参加し火を焚く役職に任命されます。一介の町の絵師が高貴な身分へと変わったことは、周囲からの妬みもあったようで悪い噂を流されることもあったようです。
そういったことが原因で、岸駒は正しい評価をされてこなかったということがありましたが、近年そうした歴史背景の見直しがされ再評価の機運が高まっています。
佐伯岸駒の作品は、中古市場で人気が高くあるため贋作や印刷工芸品の類のものが多く出回っている、注意が必要な作家でもあります。
写真で紹介しているのは掛軸ですが、屏風の作品もあり、そちらもお買取りの対象になります。
佐伯岸駒は、動物の描写に優れた作家でしたので、虎をはじめとした動物を題材とした作品は人気が高く高価買取が期待できます。
同じものを題材とした作品でも、色使い、構図などでお値段に差がございます。お問い合わせはお電話または、HPのお問い合わせフォームから受付しておします。お問い合わせフォームからお写真を送ることもできますので、お写真送っていただけますとより詳しいお値段のご提示が可能です。