村瀬治兵衛は、名古屋の木地師で代々その名前を継いでいます。初代村瀬治兵衛は、極薄焼を得意としていて、北大路魯山人の椀や器を制作していました。
現在の当代は3代目です。
初代村瀬治兵衛は江戸時代から続く木地師の家庭に生まれます。
木地師とは、漆器の漆を塗る前の木地を作る職人のことで、木の選定から乾燥なども含めた仕事をすべて行います。初代は、木地師の仕事だけでは満足せず、木地師の仕事の範囲を超えて、塗りや絵付けまでを行うようになっていきます。その頃北大路魯山人と出会い、椀や器の木地を頼まれたことをきっかけに、独自の塗や絵付けを確立していくようになりました。
初代の作品は、薄挽の繊細さと、削った木肌を生かした大胆さに特徴があります。2代目は、特に根来塗や独楽塗を得意としていました。3代は、伝統を受け継ぎつつも、日常で使える漆器づくりなど、新しいことにチャレンジし、漆器の良さを広く伝えることにも力を入れています。
村瀬治兵衛の作品は、通常分業制で行われる漆器制作において、木地から塗りまで一貫して行っているため、独創性の高い作品が多く人気が高いです。
<木地師とは>
轆轤を使って木を削り椀や盆などの漆器類の木地を作る職人を木地師と呼びます。江戸時代からある職業で、明治頃までは手挽きろくろを使っていました。
現在は、電動轆轤とろくろ鉋を使って削りだしていきます。
木の中には水分が含まれているため、乾燥すると小さくなったり、割れたりします。そのため、木を乾燥させてから加工していきます。また削っていく最中も、水分が抜けていくので、一気に削るのではなく時間をおいて少しずつ完成の形にまで持っていきます。こうした手間暇を考えると、初代村瀬治兵衛の極薄挽は、まさに職人の中の職人ともいうべき手技ということになります。また、分業制の壁を越えて塗りや絵付けまでも行っていた、初代村瀬は革新的な職人だったといえるでしょう。
初代村瀬治兵
1897-1985
2代村瀬治兵衛
1927-
3代村瀬治兵衛
1957-
2代、3代村瀬治兵衛は、日本各地で個展を開催し、また2015年にはフィラデルフィア美術館、アメリカイエール大学アジアンアートミュージアム、東京国立近代美術館などに作品が収蔵されていて、人気も評価も高い作家です。そのため、村瀬治兵衛の作品は中古市場でも人気が高く高価買取が期待できます。
村瀬治兵衛は、写真に掲載しているような、膳や盆、菓子器、花入れなど様々な作品を作っています。どれも弊社でお買取りが可能なお品物ですが、塗りや装飾部分によってお値段が変わってきます。特に人気が高いのは、2代目が得意としている独楽塗や根来塗のものは高価買取が期待できます。
いわの美術では、過去に幾度も村瀬治兵衛の作品のお買取りをさせて頂いておりますので、ご売却をご希望の方は、いわの美術にお任せください。
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