いわの美術では絵画のお買取りに力を入れています。
大正から昭和まで活躍した近代絵画の先駆者である洋画家・椿貞雄
家族の肖像を数多く描いたことから「愛情の画家」とも称され、
作品からは椿の穏やかな心情がうかがえます。
偉大な師を持ったが故の葛藤を抱えながらも、自らの画境を切り拓いた
油彩画家・椿貞雄の作品の ご売却をお考えでしたら、ぜひ一度 いわの美術までご連絡ください!
椿貞雄は1896年山形県米沢市に生まれます。
早逝した兄の影響で画家を志していた椿は、1914年旧制中学在学中に上京。
そこで岸田劉生の作品を見て感銘を受けた椿は、専門的な美術教育を受けていませんでしたが自身の作品(自画像)を持参し弟子入りを願い岸田劉生のもとへ訪れます。
劉生は椿の実力を認め、翌年劉生が中心となって結成した草土社に参加することとなります。
こうして中学を中退し、画業に専念することを決意した椿は白樺派の人道主義に思想的影響を受け、師と共に写実を通して内なる美の表現を目指しました。
しかし常に劉生と行動を共にしその作品を真似て技術を吸収したことで師の油彩表現を受け継いだ椿は、秀作を多く制作したにも関わらず「劉生の模倣」と批判されなかなか正当な評価を得られませんでした。
そんな師と共に制作に明け暮れる日々の中、劉生が38歳で急死。
慕っていた劉生の死に椿は制作に行き詰まるほど気落ちしていましたが、周囲のすすめもあって渡欧。
本場の油彩画を見た事で、師の追い求めた東洋的写実表現を突き詰めていくことを決意します。
劉生の強い影響を受けていた椿の作風に変化が訪れ、東洋絵画の伝統表現を取り入れた独自の作風を築き上げていくことに成功します。
晩年には富士山や長崎、桜島なども描いていましたが、1957年病院への迎えの車が来る前に描き上げた椿を遺し61歳で亡くなりました。
椿貞雄の作品
●作風の変化
若年期では力強く重厚で写実的な風景画や人物画など多くの油彩画を残しましたが、渡欧したことで椿の心境の変化は作品にも反映されていきます。
遊学後「劉生を意識する事なく自由に描けるようになった」という言葉通り、明るくのびのびとした作風へと変化していきました。
油彩による写実を表現することは変わらずに、戦後体制から解放されたこともあり以前の緊張感は消え、日本画や文人画から学んだ手法も取り入れた作品にはおおらかで穏やかな愛情溢れています。
●代表的なモチーフ
椿の代表的な画題のひとつが、南瓜と冬瓜
南瓜と冬瓜は師である劉生が静物画を写生する際によく描いていたためその影響だといわれています。
また、戦後には「愛情の画家」と称される所以である家族の肖像を数多く残しています。
特に孫の作品を多く残しており、柔らかく朗らかな作品から平和な暮らしと家族団らんの温かさを感じられます。
いわの美術では椿貞雄の絵画の高価お買取りに力を入れています!
風景画、静物画、人物画など油彩表現による作品を数多く残していますが、晩年には日本画の制作もしており掛軸や色紙などの作品もございます。
どの作品も買取対象なのですが、制作年や描かれているモチーフや二次市場での相場などで買取り額が変動致します。
椿貞雄場合、作風の変化が顕著に表れている作家なのでこの傾向が強く出ると思われます。
お問い合わせの際は「作家名・作品名・制作年・大きさ・モチーフ・付属品の有無」など出来るだけ詳細にお伝え頂けるとスムーズなご案内が可能です。
弊社ではお電話・メール・LINEなどで実績の豊富な査定員が無料で査定致しております。
ご処分にお困りのお品物がございましたら、お気軽にいわの美術までお問い合わせください。