日本現代美術を担う存在として期待されつつも若くしてこの世をさった画家・有元利夫
東西の古典美術様式に影響を受け両者の共通点を発見し、独自の作風を築きました。
様式化された油彩画界の新境地を拓くと期待されていた有元利夫の作品は人気が高く高額でのお買取りが期待できます。
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有元利夫は1946(昭和21)年、東京で貸家業を営む両親の疎開先である岡山県で4人兄弟の末っ子として生まれました。しばらくして東京へ戻ると両親は貸家業をたたみ、文具店を始めることとなります。豊富な画材に囲まれながら育った有元は次第に絵を描くことに楽しみを見出し、東京藝術大学への入学を志望するようになります。
4度の失敗を経験し、5度目の挑戦に東京藝術大学デザイン科へ入学しました。
在学中に欧州を旅し東西古典美術様式の美しさに感銘を受けた有元は様々な挑戦を重ね、次第に自身の作風を確立していきます。
そして1972年(昭和47年)に丸山寿嗣、箕浦昇一、北村治、三井卓大らとの共同制作作品を毎日広告賞へ応募すると入選を果たします。
さらに東京藝術大学の卒業制作品である「わたしにとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」という10点の連作が後に全て大学買い上げとなりました。
卒業後は1973年(昭和48年)に電通へ入社し、デザインの仕事をする傍らで制作活動を続け、1974年(昭和49年)にみゆき画廊で東京藝術大学時代の友人と2人展を開催しました。この展覧会が評判となり新潮社の月刊誌「藝術新潮」などに取り上げられ大きな話題となりました。
その後は電通を退職し東京藝術大学で非常勤講師を務めながら無所属で画業に励み1978年(昭和53年)に新人洋画家の登竜門といわれている安井賞展に出品し見事に特別賞を受賞。(審査員の意見が割れた為この年のみの特別措置)
次いで1981年(昭和56年)第24回安井賞展に出品した際には安井賞を受賞しその実力を広く知らしめることとなったのでした。
絵画だけでなく版画や彫刻などの分野でも才能を開花させ自身の作品集を出版しています。
他に類を見ない東西の古典美術様式の美しさを融合させた有元の作風は高く評価され今後の活躍が期待されていましたが、1985年(昭和60年)に38歳の若さで逝去しました。
有元の作風は東京藝術大学に在学中イタリアを旅しポンペイの壁画やフレスコ画などに出会ったことがきっかけで確立されていきました。
西洋古典壁画から鮮烈な衝撃を受けた有元は日本の仏教画に通ずるものを感じ帰国後すぐに日本古典美術の技法を習得しました。古代西洋壁画のような質感を岩絵の具で再現できないものかと試行錯誤を重ねた結果、岩絵の具や箔を用いて風化したような風合いを表現する独特のスタイルに落ち着いたようです。
「風化したものは、僕にとっていつも美しく物語のある空間です。」と本人が語ったように表情のない象徴性を重視した人物描写と、経年による風化の神秘性を感じるよう美しさが特徴的です。また、動きのない静的な空間構成と平面的でありながら味わいの作風
また、有元は音楽を愛しておりクラシック音楽やバロック音楽をモチーフとした作品も多く制作しています。
有元の作品は油彩画以外にもリトグラフ、水彩、エッチング、銅版画などがあり状態などや市場相場などによって細かくお値段の変動はございますが高額でのお買取りが期待できるお品物です。
また、限定発行されている版画集やデッサン集などもお買取り対象です。
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