今回ご紹介する作家は日本の伝統的な人形である市松人形のみを制作する人形師・藤村明光です。
日本で僅か6人しかいない市松人形職人の一人である藤村明光の人形は、豊かな表情と美しい造形で人気を博しています。
現在いわの美術では藤村明光の市松人形のお買取りを強化致しておりますので、ご処分をお考えのお品物がございましたらお気軽にお問い合わせください。
藤原明光(現在・藤原光環)は1953年東京の人形師・光龍斎 滝沢豊太郎の流れを汲む初代・藤村紫雲のもとに生まれました。
小学生の頃から人形作りの手伝いをしていた藤村明光は小学生時代までは人形師を継ぐことを拒んでいたそうですが、中学・高校へ進学し進路について考えるようになると家業の人形作りの素晴らしさに気付きました。
父である初代・藤村紫雲の人形作りへの情熱や仕事ぶりを見ているうちに人形師という仕事に魅力を感じるようになり、職人になると決意を固めた明光は高校を一年で退学。その後、父である初代・藤村紫雲に師事し日夜仕事に没頭していきました。
その後は1980年に中国へ、1983年にはアメリカへと渡り活動した後も1988年にソ連のゴルバチョフ大統領とウィーンのモーツァルト合唱団へ市松人形を献上しています。
その後もフランスのパリ装飾美術館で市松人形が永久保存されています。
海外の人々にも日本人形の良さを知ってほしいという思いで世界中で活躍した藤村明光は日本国内でも毎年個展を開き多くの人々で盛況を博しています。
2010年に号を明光から光環に改名した後も精力的に取り組み現在も現役として活躍しています。
藤村明光の人形の特徴は目だといわれています。
優しい目に利発そうな顔立ちの人形が多く見られます。
朝から晩まで一体一体と向き合い、手作業で繊細な制作過程で手つきで命を吹き込まれる人形は作家自身が投影されていると言っても過言ではないでしょう。
藤村明光自身も「手仕事は自身が形となってあらわれます」と語るように作り手の心情や人生観が人形へと伝わり表情に出ます。
楽しげな明るい表情の目立つ藤村明光の市松人形は、藤村明光自身の豊かな感性と日本伝統を受け継ぐ誇りが鑑賞者へと伝わります。
市松人形として知られる以前は抱き人形として室町から公家の子女の遊び相手として用いられていましたが、安価な材料に置き換えることで江戸時代から庶民にも広まっていきました。
そして、江戸時代に上方の人気歌舞伎役者であった佐野川市松の顔立ちに似せて作ったところ人気を博したため「市松人形」という名称が定着したようです。
木くずを固めた胴に、胡粉を塗り手足が動くように作られる市松人形は、昔は衣服を着せない状態で販売され、女児の和裁練習台や遊び道具として重宝されていたようです。
そんな長い歴史を誇り伝統的な手法と素材によって制作される市松人形は、74もの工程を経て作られています。
次第にソフトビニール製の人形へとおもちゃとしての需要は移り、鑑賞用として制作される現在の市松人形の多くは石膏やポリウレタンなどで作られるものがほとんどです。
しかし、藤村明光は桐の木や桐塑とよばれる粘土の一種をベースに胡粉とにわかを混ぜて塗り、人毛や絹糸などを頭髪に用いるなど伝統的な手法に忠実な市松人形を制作しています。
伝統を守りながらも時代の流れを汲んだ制作を行う藤村明光の人形からは一体一体個性が光り、洗練されたデザインの造形から藤村明光のこだわりが伺えます。
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