作家名 | 頼 山陽 |
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思想家芸術や幅広い分野で活躍した頼山陽は『日本外史』を出版し、
幕末から明治にかけて最も多く読まれた歴史書としても知られています。
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頼 山陽は儒学者、歴史家、思想家、詩人と多くの顔を持ち、著書の『日本外史』は江戸時代の大ベストセラーとなりました。伊藤博文や近藤勇らも愛読しており、幕末の尊王攘夷派に大きな影響を与えたといわれています。
略歴 :頼 山陽(Sanyou rai)
頼山陽は1781年に儒学者・頼春水の長男として大阪に生まれました。本名は久太郎、名は襄、字は子成で、母は歌人の頼梅颸(頼静子)です。同年、父が広島藩の藩儒として登用されたため広島へ転居しました。幼少の頃から詩歌に親しみ歴史に強い関心をもっていたそうです。
9歳で学問所に入学し、叔父の頼杏坪に学んでいましたが、1797年には江戸に遊学し尾藤二洲に師事しました。21歳の時に出奔しますが失敗。このことで廃嫡、自宅に3年間監禁されていましたがこの間に著述に専念し『日本外史』の初稿もこの頃完成されたものとされています。
謹慎が解けた後は儒学者・菅茶山の私塾「廉塾」の塾頭を務めていましたが、学者としての名声を求めた山陽は1811年に京都に移り、多くの文化人との交流や執筆活動に励みました。
1826年に『日本外史』が完成し、死後出版されると幕末志士達に読者が多く山陽の名を一躍有名にしました。松平定信にも献上されたこともあり、江戸中で大変な人気を博し大ベストセラーとなりました。
頼山陽の著書『日本外史』は多くの人に愛読されており、現在も多くの人々から支持を受けています。そんな頼山陽の書は非常に人気のあるお品物です。
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おわりに
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