作者 | 岡田茂吉 |
種類 | 一行書 |
現在いわの美術では、岡田茂吉の掛軸のお買取りに力を入れています。
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略歴:岡田茂吉(Mokichi Okada)
宗教家、書家、画家、建築家など幅広い顔をもつ岡田茂吉は、1882年に東京都台東区に骨董商を営む家庭に生まれました。
画家を志し1897年に東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)予備ノ課程に入学するも眼病を患い中退。その後、事業を興して成功を収めましたが過労による不治の病を患った他に、不況により事業の頓挫、妻子との死別など不幸が続く中で救いを求め主教の講話を聴くようになります。
しかし、茂吉の心は晴れずどの宗教への関心も心が動かされることはありませんでした。
そんな茂吉も1920年に大本教に入信し、1926年のある晩にお腹に光輝く玉が入るという神秘体験を経験します。
第一次大戦後の経済大恐慌により経営していた会社も大きな打撃を受け倒産してしまいます。さらに1931年に千葉県・鋸山で神秘体験を経験し岡田式神霊指圧療法を開始するも大本教と方針が合わず離脱しました。
その後1935年に「世界救世教」の前身である「大日本観音会」を立教し、東京都の麴町に本部を設置し、栽培研究などを通した食の重要性を説く活動や治療行為など行いますが宗教行為と治療行為に分離を迫られ1936年に「大日本健康協会」を創立します。
第二次世界大戦の戦火が激しくなった1944年に東京から神奈川県の箱根町強羅へ居を移した後、宗教法人「日本観音教団」や「日本五六七教」を創立しましたが1950年に解散し宗教法人「世界救世(メシヤ)教」を発足しました。
この頃から初期風俗画や肉筆浮世絵などの美術品の収集を熱心に始め1952年には箱根美術館を開設し、1953年には尾形光琳の紅白梅図屏風を入手しました。
岡田の収集品の数は多く、箱根美術館の姉妹館として熱海美術館が開設され後にMOA美術館と改められました。
同美術館では日本工芸の優れた作家に賞を贈る岡田茂吉賞展なども開催し、日本工芸界の発展にも大きく寄与しています。
このように実業家、宗教家、美術収集家などの顔を持つほか、優れた書や絵を書く書道家、芸術家としての顔ももつなど多才な人物として知られています。
いわの美術では、根強い人気がある岡田茂吉の作品の高価買取を強化致しております。
お買取りの際のポイントは「状態」と「付属品の有無」
シミや日焼けなどの少ないものですとプラス査定となりますが、お品物次第では状態のあまり良くない物であっても高額でのお買取りが可能な場合もございますので、具体的にどれくらいの値段がつくのかお知りになりたい場合はお写真を添付の上お問い合わせください。
また、箱などの付属品も重要になりますのであわせてご確認くださいませ。
掛軸以外にも岡田茂吉の写真や水墨画、世界救世教岡田茂吉全集などのお買取りも強化致しております。無料査定のご依頼の際にはお品物の出来るだけ詳細な情報をお伝えください。ご売却をお考えのお品物のご内容や物量により出張での無料買取りサービスも致しております。
また、遠方のお客様には配達でのお買取りサービスのご案内も致しておりますのでご相談下さい。
おわりに
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お買取り価格は状態や市場相場などによって変動しており、お品物の御内容や状態によっては弊社でのご対応が難しい場合がございます。
そのため、査定やお持ち込みをご希望のお客様はまずお写真や詳細な情報を、お問い合わせフォーム・メール・LINE・お電話などでお伝えください。
その後は弊社所属の専門の査定員がお客様の大事なお品物を拝見させていただき、査定額
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