石川丈山(頑仙子)の掛軸の買取強化中です!
作家 | 石川丈山 |
作品名 | 無為 |
種類 | 掛軸 |
現在いわの美術では、石川丈山(頑仙子)の掛軸のお買取りに力を入れています。
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武士、漢詩人、書家、作庭家など幅広い分野で活躍した文人・石川丈山は天平11年(1583)に代々徳川家に仕える武家の家に生まれました。
16歳のときに父を亡くした丈山は、徳川家康に召し出され近侍となります。
以降、数々の戦で活躍を重ね家康公らの信頼を寄せられていた丈山でしたが、大阪夏の陣で禁令を犯したことで謹慎を命じられてしまいます。
このことで丈山は牢人となり、しばらくの間は剃髪して妙心寺に身を置いていました。
武士として勤めることに嫌気がさしていた丈山は、元和3年(1617)に知人の勧めで儒学者・藤原惺窩に師事し儒学を学びます。
文武に優れた丈山のもとに仕官の誘いは多く、病を患う母を養うため渋々紀州の浅野家に仕官します。
その後、浅野の転封に従い安芸に赴き13年過ごしますが、母が死去した為仕官を辞する意志を伝えたものの許されなかったので「有馬温泉で湯治する」と言い強引に京都へと戻ってしまいました。
終の棲家である「凹凸窠」を寛永18年(1641)に一乗寺に造営し隠棲生活を謳歌しました。凹凸窠には狩野探幽に描かせた中国の詩仙36人の肖像画を掲げられており、後に詩仙堂と呼ばれました。
「清貧」をモットーに学問に没頭する傍ら漢詩、書、煎茶、作庭なども楽しむ風雅な生活を送っていた丈山は漢詩の代表的人物として知られていますが、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されていることから煎茶の祖ともいわれています。
また、作庭にも長けており東本願寺枳殻邸(渉成園)の庭園も丈山が手がけたとされています。
書の腕はというと隷書を得意としており、御光明天皇の命により隷書を作って献上しわずかではありますが褒賞を賜っています。朱子学者・林羅山は丈山の書に対して「日本では丈山以上に隷書の上手い者はいない」と絶賛する程の腕前を持っていたといいます。
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「状態」「書体」が高価買取の重要なポイントとなります。
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ご売却をお考えのお品物がございましたら、お気軽にご相談くださいませ。
おわりに
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お買取り価格は状態や市場相場などによって変動しており、お品物の御内容や状態によっては弊社でのご対応が難しい場合がございます。
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