作家名:佐野繁次郎
作品名:お使いっ子(パリ)
技法:油絵
大きさ:F4号(30*24)
■ 作品紹介
優れた色彩センスと素朴なタッチが特徴的な佐野繁次郎の
作品本体だけでなく額裏面にも作家直筆のイラストが描かれた贅沢な作品です。
佐野の描く都会的な雰囲気の可愛らしい子供の姿はいつまでも見ていたくなるような、見るものを引きつけるような魅力をもっています。
佐野繁次郎は「おつかいをする子供」を好んで描いており、今回ご紹介している「お使いっ子(パリ)」のような構図の作品が複数点存在します。
お使いっ子モチーフの作品は人気が高く高額でお買取りさせていただくケースが多いシリーズです。
ご売却をお考えのお品物がございましたら、ぜひ一度【いわの美術】にご相談くださいませ!
■ 佐野繁次郎の略歴
1900年に大阪府大阪市船場の筆墨商を営む家に生まれた佐野は、1924年に信濃橋洋画研究所にて小出楢重に師事し、絵を学びます。二科展を中心に活動を展開し、1929年には同展にて初入選を果たします。1930年頃に日本初の純無鉛白粉「御園白粉」で知られる伊東胡蝶園(後のパピリオ化粧品)へ入社し、同社の看板商品である「パピリオ」のロゴデザインなどを手がけ、戦後は重役としても活躍します。画家としての活動も意欲的に行い1931年の二科展では樗牛賞受賞し、横光利一の「機械」の装丁を担当しました。その後1937年にフランスへ渡りアンリ・マティスに師事、ジョアン・ミロらとも交流を深めていきました。フランスでの滞在生活の中でパリの気風を自らの作風に反映させ、洒脱な雰囲気の優れた作品を複数発表し、デザイナーとしての評価を高めていきます。日本へ帰国した1939年以降は横光利一や小林秀雄、舟橋聖一などの文学者の本の挿絵や装丁を数多く手掛け装丁画家としての地位を確立しました。戦後は二紀会の創設に参加しています。1951年から1953年まで再度フランスへ渡り、金山康喜、田淵安一らと交流を深め帰国後は1955年の創刊号から1969年まで『銀座百点』の表紙を手がけました。その後も洋画家、装丁画家として活動を展開し、1987年に惜しまれつつこの世を去りました。佐野は洗練された色彩と斬新な構図が特徴的で、装丁を手がけた書籍を収集するファンも少なくありません。佐野の装丁本をまとめた書籍が複数出版されており、コレクターとして西村義孝、安部朋子などが有名です。■ お買取りについて
≪ 佐野繁次郎の作品の高評価ポイント ≫
- ・油絵などの肉筆画:額の裏面にイラスト
- ・佐野繁次郎が装丁を手がけたの雑誌や書籍:物量
- ・全ての作品共通:状態
只今、いわの美術では佐野繁次郎の作品のお買取りに力を入れています!
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