歌川貞秀は、本名を橋本兼次郎と言い、号には五雲亭、玉蘭、玉蘭斎、一玉斎などと号していました。
1807年に生まれた歌川貞秀は、10代で歌川国貞に弟子入りし、初めて筆を握ったのは14歳と言われています。
初めの頃は本の表紙や挿絵を描いていましたが、天保初期の時代には美人画、芝居絵、風景画なども描くようになりました。
天保後期頃になると、今まで取り入れてこなかった遠近法を風景画に取り入れるようになった事から歌川貞秀の人気が上がり、絵師の人気投票でも上位に載る程でした。
60歳でパリ万博に作品を出品した時には、歌川芳宗と共に絵師の代表となるなど、この当時とても高名な絵師として知名度が格段に上がります。
その後、美人画や役者絵、横浜絵などを描きながらも、地理に深い関心を持った歌川貞秀は、北海道から九州まで自らの足で歩き、それぞれの場所を上空から見て描いたような鳥瞰図を描きます。
歌川貞秀は73歳で亡くなったとされていますが、その当時の資料がない事から詳細不明となっているのです。
歌川貞秀は、美人画、役者絵、風景画、肉筆画、横浜絵、鳥瞰図など様々な作品を描き、また、横浜絵の第一人者としても知られています。
歌川貞秀が描く作品は、とても精密で正確な画像構成が特徴です。
中でも鳥瞰図は、とても精密に描かれているので、まるで本当に空を飛んで見てきたのではないかという噂から「空飛ぶ絵師」という名前までついたそうです。
また、横浜絵なども精密で写実的に描かれているので、その時代何が起こったのかという歴史を紐解く資料としても高く評価されています。
弊社いわの美術では、歌川貞秀の浮世絵をお買取り致します。
歌川貞秀の作品で評価が高いとされている横浜絵や鳥瞰図は、年代にもよりますが高評価でのお買取りが期待されます。
また、歌川貞秀以外でも浮世絵のお買取りの際には、必ず正面・裏面・作家名部分の画像をお送り下さい。
浮世絵は版画になりますので、必ず裏面にインクが染みだし薄く映し出されます。
版画が厚い紙に貼りついている場合は仕方ありませんが、もし、お品物の裏面を確認する事が出来たら必ず確認して下さい。
また、弊社いわの美術では歌川貞秀以外にも様々な浮世絵をお買取りしております。
葛飾北斎・渓斎英泉・歌川広重・月岡芳年・歌川国芳・喜多川歌麿
歌川国麿・歌川豊国・歌川国貞などなど・・
蔵・倉庫・押入れなどのお片付けで出てきたお品物のご売却をお考えでしたら、是非いわの美術までお気軽にご相談下さい。