石濤とは、中国清の時代に初の画家として活躍された人物で、1642年に明王室の末裔にあたる靖江王府で生まれました。
明時代の末期、政府のやり方に反対していた農民反乱指導者の李自成が起こした農民反乱により明が滅亡後、石濤の父親が「帝王がいない間留守をする」と称して帝王の座を得ようとしました。
ですが、その行為が南明第二代帝王の隆武帝から反逆者とみなされ捕まり投獄され死亡してしまいます。
石濤は、明の滅亡時わずか4歳でしたが、家来によって城を抜け出し、追っ手に見つからないよう中国の湖北省武昌区という場所で出家し僧となります。
出家後、書や古典、絵画を学び、空いた時間があれば古法帖の模写を行うなど独自での勉強に励む傍ら、唐時代の芸術家である顔真卿の作品に心惹かれ昔書かれた書の研究も行っていました。
その後、僧として様々な寺を巡り自身で描いた絵を売りながら生活していた石濤は、29歳の時敬亭山広教寺に移り、そこで様々な文人や画家との交流を深めます。
この頃黄山と呼ばれる山に登り美しい景色に魅了され、黄山図を多数描いたそうです。
39歳では中国南京市にある寺の住職として活動しながらも画家の戴本孝と交流を深め山水画を数多く描き、同じく画家の龔賢とも出会い作風に大きく影響を受けています。
40歳後半になると21歳の頃師として尊敬していた人物と同じ指導的立場となった事で、朝廷から良き待遇が受けられるのではないかと淡い期待を抱いて北京へ移るも、当時清の第四皇帝を務めていた康煕帝は仏教に対して関心を持っておらず冷たい態度であしらわれてしまいました。
その結果僧侶としての活動を辞め画家として歩む事を決意し、様々な場所へ出向き絵を描き、晩年は中国の揚州市に大滌草堂を建てて66歳で亡くなるまで道学や絵画に専念したそうです。
また、揚州市に戻った時は画家で同じく王族出身の八大山人や、明朝時代の画家の李驎など多くの画家と文人と交流を深め、66歳でこの世を去りました。
石濤は、書から始まり人物画、花鳥画、山水画を描いていますが、その中でも山水画が得意
とされています。
精密な筆使いと的確な色彩が特徴で、その豊かな創造性と独自の個性の表現によって清時代きっての傑出した画家と言われています。
繊細な筆使いで写実性に特化し、墨と色彩のコントラストが美しく、詩情あふれる山水画を描く石濤は、清代文人画の代表的な画家の一人として多くのファンを獲得しました。
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中国の古い作家さんですので、作品の状態が懸念されるお品物となりますが、綺麗な状態で、肉筆でしたら高評価でのお買取りが期待出来ます。
石濤は掛軸や絵画、古書、手紙など様々なお品物を残されています。
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