1871年に長野県で生まれた北村四海は、父親で宮彫刻師の北村正信の仕事姿を見て育ちます。
幼い頃から父親の仕事姿を見て育った北村四海は、彫刻の世界に興味がわき父親に弟子入りして技術を学びました。
22歳で上京後彫刻家の島村俊明に木彫、小倉惣次郎に塑造を学び作品の幅を広げ、新海竹太郎とも親交を深めます。
24歳には、日本美術協会展に出品した「神武天皇像」が一等賞を受けるという功績を果たしました。
この日本美術協会展で受賞した「神武天皇像」が安田銀行創始者である安田善次郎の目にとまり、彫刻制作の金銭的支援を受けます。
29歳の時には、海外での彫刻を学ぶべく新海竹太郎と共にパリへ行き2年にわたり西洋式彫刻を学びました。
帰国後は日本でブロンズ像が流行っていたのに対抗して、大理石彫刻を日本に導入させた事で北村四海の名が日本中に知れ渡るようになります。
その後は後世の指導にもあたっていましたが、56歳という若さで早すぎる死を迎えてしまいました。
北村四海は、ブロンズ像が流行していた時代に大理石彫刻を流行らせた第一人者と言われています。
北村四海が製作する作品は、体の柔らかさや顔、手足など細かい部分までも精密に再現されています。
ブロンズ像は粘土で原型を作りそこに鉄を流し込む事で出来上がりますが、大理石は石なので型取りする事が出来ません。
その為、細かいところも手作業で彫っていかなくてはならず、とても大変な作業となります。
そのような取扱いの難しい素材でも、北村四海は器用に道具を操り数多くの作品を作り上げました。
弊社いわの美術では、北村四海の作品をお買取り強化しております。
北村四海の作品では、大理石で作られた裸婦像が非常に人気で、お買取りの際も高評価が見込めます。
お家・事務所・お店・社内に飾られている物・倉庫に仕舞われている物などご売却お考えの北村四海の作品がございましたら是非いわの美術までご相談下さい。
アリスティド・マイヨール、神保雅、籔内佐斗司、柴崎重行、加藤豊、井波彫刻
瀧口政満、柳原義達、熊谷幸太郎、桜井祐一、朝倉響子、鹿野幸子、藤戸竹喜
平櫛田中、平野千里、朝倉文夫、舟越保武などなど