画家の石井鼎湖の三男として1887年東京の御徒町に生まれ、兄に画家の石井柏亭を持ち、祖父も画家の鈴木鵞湖という芸術一家の家で育ちました。
芸術一家で育った石井鶴三は、父や兄の背中を見ながら育ったので必然的に画家の世界に入る事になります。
絵画を教わろうとしていた矢先、父親の石井鼎湖が49歳という若さで病に侵されこの世を去ってしまった事で、兄の石井柏亭は家業を継ぎ大黒柱となり、まだ10歳と幼かった石井鶴三は親戚の家に養子に出されました。
養子先で飼い馬の世話を任された石井鶴三は、馬と仲良くなっていくうちに人間とは違う骨格や生命感に感動を覚え木と針金を心棒として土で肉づけをして立体の馬を作り出します。この出来事が石井鶴三を彫刻の世界へ進ませるきっかけとなったのです。
その後、17歳で東京の実家に戻った石井鶴三は、兄である石井柏亭の勧めで洋画家の小山正太郎の画塾「不同舎」で絵画を学びますが、美しい彫刻の世界も捨てきれず、天才彫刻家と呼ばれた加藤景雲に木彫を学びます。
芸術をもっと多く学びたいと東京美術学校に入学するも、兄の石井柏亭が目の病気を患って仕事が出来なくなってしまった事で、石井鶴三は大黒柱となり学校に通いながら風刺漫画の記者の仕事を始めました。
記者の仕事はとても忙しかったのですが、その結果頭の中で立体的に描く『空中素描』を身に付けたり、印刷について知識を学べた事が石井鶴三にとって大きな財産となりました。
東京美術学校卒業後の翌年、文展にて「荒川岳」という作品を出品し入賞、1915年には日本美術院研究所に入ります。
その後も二科展に出品した「行路病者」と言う作品で二科賞を受賞した石井鶴三は、兄の石井柏亭の友人である版画家の山本鼎と交流を深め、他の仲間と共に日本創作版画協会を設立しました。
自身の作品制作以外でも後世の育成にも励み、日本版画協会の会長・理事長を務め、57歳では東京美術学校の教授として教壇にも立ちました。
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石井鶴三は、版画・洋画・彫刻など幅広く作品を作られていましたので、ご自宅に飾られている絵画や彫刻が石井鶴三の作品かもしれません。
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