小磯良平は明治36年(1903)旧三田藩の旧家、岸上家の8人兄弟の二男として神戸に生まれました。
幼い頃から絵を描くことが好きだった彼は、のちに東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学します。
その在学中、わずか23歳の若さで、日本美術展覧会の前身である帝国美術院展覧会において、その優れた素描力が評価され、入選を果たしました。
日本の洋画界に鮮烈なデビューを果たした小磯は、首席で大学を卒業した後に慣れ親しんだ神戸を離れ、
フランスに留学します。
2年間の留学を経て神戸に戻ったのちは、多くの肖像画、特に群像の製作を精力的に手がけ、その名を知られるようになります。
第2次世界大戦中は従軍画家として中国に渡り、戦争画を作成した経歴もありますが、戦後は自身の母校である東京藝術大学で教鞭をとり、後進の育成にも務めました。
昭和期において、伝統あるヨーロッパ絵画の技法をいかに日本の洋画界に普及させるかを熱心に研究し、その成果で大きく貢献した屈指の画家です。
昭和49年(1974)赤坂迎賓館の大広間の壁画制作や昭和58年(1983)に文化勲章受章などから見ても、その活躍を知ることができます。
小磯良平の人柄と功労
前述のように軍国主義の下、戦争画制作にも従事した小磯ですが、のちに自らが戦意高揚のために絵筆を振るったことを晩年になっても悔やんでいたと記す書簡が見つかっています。
クリスチャンの家庭に育ち、大学卒業後にキリスト教の洗礼を受けており、聖書の挿絵も手掛けていました。
親しみやすく、どこか 静寂さを感じさせながらも凛とした女性像が描かれた作品などを多く残した小磯良平。そう感じさせる画風はその人柄から感じることができます。
昭和63年(1988)、生涯を制作の拠点とした神戸の地で肺炎のために他界しますが、
その卓越したデッサン力と温かみのある色彩で見る者を魅了し続ける作品の人気は今も衰えることはありません。
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