戦後日本の彫刻界を代表する彫刻家 舟越保武による『リンゴを持つ少年』は昭和40年に制作された高さ75cmのブロンズ像で、宮城県美術館や兵庫県神戸市に設置されています。左手に持ったリンゴに目をやる物静かな
立ち姿の少年像。その無垢で柔和な表情は、作者である舟越保武の精神性が漂っている感じを受けます。
舟越保武は1912年岩手県の生まれ。熱心なカトリック信者の父を持ち、
自身も後に洗礼を受けます。そのため、作品はキリスト教関連のものが多いのが特徴で、またその作品の多くが郷里の岩手県立美術館に所蔵されています。
画家である妻 道子との間に6人の子供に恵まれますが、なかでも二男舟越桂は彫刻家として父と同じ道を
進み、独自の境地を拓いて今や世界的に知られる彫刻家として活躍しています。
舟越保武は盛岡中学を病気療養のため休学していた間に兄から借りて読んだ高村光太郎訳の『ロダンの
言葉』に感銘を受け、のちに彫刻家の道を進むことを決意しました。
具象彫刻家として度々舟越と並んで比較される佐藤忠良(絵本「おおきなかぶら」の画で知られる)とは、1934年に入学した東京美術学校(現・東京藝術大学)在学時に出会い、以降生涯に渡って友情を育むと同時に共に戦後日本の彫刻界の第一線で活躍し、またそれを牽引していくことになります。
大学卒業後は独学で彫刻制作に励み、数々の作品を発表して彫刻家としての注目を集めるようになります。また佐藤や先輩彫刻家と共に新制作派協会彫刻部の立ち上げに関わり、戦後日本の彫刻界の基盤を作り上げるばかりでなく、自身も会員となって生涯に渡り新作展に出品し続けました。
1950年には長男が誕生しますが、生後すぐに急死したのをきっかけに家族と共にカトリックの洗礼を受けます。
それ以降、キリストの教えや殉教者を題材にした作品を多く手掛けるようになりました。
なかでも1962年に制作された高さ5.6m幅17mにも及ぶモニュメント『長崎26殉職者記念像』は豊臣秀吉時代にキリシタン禁止令が発せられた際に十字架に磔の刑になった26人の殉職者を等身大で表し、その圧倒的な存在感と表現力で、彫刻家を目指すきっかけとなった「ロダンの言葉」を翻訳した高村光太郎を冠した高村光太郎賞を受賞するにいたります。
その後も東京藝術大学や多摩美術大学の教授に就任して後世の育成にも励みました。同時に、代表作『原の城』や田沢湖畔に佇む『たつこ像』などの作品を次々に手掛け、その活躍ぶりに高い関心が寄せられるようになりました。
精力的に制作に取り組む日々を送っていましたが、1987年に脳梗塞で倒れその後遺症として右半身が麻痺してしまいます。利き腕だった右手の自由を奪われた舟越でしたが、入院中から左手でデッサンをし、退院後はすぐにリハビリを始め、決して病気の困難に屈することはありませんでした。
そして2002年 89歳で多臓器不全が原因でこの世を去るまで左手による彫刻制作を続けました。
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