二代田辺竹雲斎は本名を和雄といい、1910年初代田辺竹雲斎の長男として大阪の堺市に生まれます。
父の仕事姿を見ながら育った二代田辺竹雲斎は、幼い頃父親の真似をしながら竹工芸作品を作っていたそうです。
二代田辺竹雲斎が5歳の頃、父親で初代田辺竹雲斎の個展が大阪三越で開かれた際いとこと一緒に付いていき、亀甲編みと呼ばれる竹工芸の技法をお客さんの前で披露したところ
お客さんから歓声が沸いたと言います。
5歳ですと今で言えば幼稚園年長くらいなので、その年齢の子が竹を編んで作品を製作しているというのは多くの大人が驚く事ではないでしょうか。
また、二代田辺竹雲斎が9歳になると父親から教養として漢学者の土田江南を紹介され書を学ぶなど幼い頃から勉学に励みます。
その後父親から学んだ技術を生かし21歳で蟠龍図盆という編み込みの中で龍が躍る作品を帝国美術院展覧会に出品し、初入選を果たします。
以降数多くの展覧会に出品し受賞を重ねた二代田辺竹雲斎が27歳の頃父親が他界、同年二代田辺竹雲斎を襲名しました。
二代目襲名後は透かし網を得意とし、繊細で細やかな作品を数多く制作、戦後も製作活動を続け勲四等瑞宝章や大阪芸術賞・紺綬褒章を受章後81歳で息子に田辺竹雲斎を引継ぎます。
その後は一竹斎と名乗り息子や弟子達の指導にあたっていましたが、90歳でこの世を去りました。
田辺竹雲斎は初代から始まり現代は四代目が伝統を守りながら作品制作を続けています。
そんな伝統ある田辺竹雲斎は、初代田辺竹雲斎が竹工芸作家として独立した事から始まりました。
初代田辺竹雲斎が生まれた1877年頃、関西方面では中国から伝わった煎茶文化が広まり、それに伴い花籠の製作も盛んに行われていた事から、初代田辺竹雲斎も大阪で竹工芸の名工であった初代和田和一斎に12歳で弟子入りします。
12年間の学びを終え独立後は師が使っていた号の竹雲斎を譲り受け作陶を開始します。
第5回内国勧業博覧会で初入選を果たし、以降多くの作品を製作し数多くの受賞を果たしました。
初代田辺竹雲斎が没後、初代田辺竹雲斎の長男が二代目を継ぎ、1991年に二代田辺竹雲斎の長男が三代目、2017年三代田辺竹雲斎の次男が四代目を継ぎ現在に至ります。
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