大樋年朗は1927年、石川県金沢市に江戸時代から続く大樋窯九代長左衛門の長男として生まれました。
幼少期より薪割りや、粘土づくり、窯を焚く手伝いをしたり、小学校の遠足で行った山で粘土を持ち帰っては 後日茶碗を造り窯で焼き 見事に失敗したりと、家業の大樋焼に親しんで育ちました。
上野の美術学校(現東京芸大)時代は戦争中でしたが、休みの日は神田の書店で美術書をあさり、日本橋裏通りの道具屋では古陶を見聞し、デパートの画廊で現代美術に学び、様々な芸術品に触れました。
23歳で初の出品作「双魚置物」が日展で入選したのを皮切りに、以後次々と受賞を果たします。1967年には日展の審査員を務め、以後6回に渡り就任しています。1982年同じく日展にて『歩いた道花器』で文部大臣賞受賞。翌年には天皇陛下植樹祭に際し天覧茶盌食器一式を献上。さらには活動の場を海外へ広げ、1984年にはボストン大学にて「日本の陶芸」について講演、並びに作品展も開催されました。
1987年60歳で十代大樋長左衛門を襲名しますが、歴史ある茶陶の名門・大樋焼の当主として伝承作品を発表する際は「十代大樋長左衛門」を またその歴史にとらわれず自由な発想で作陶した時は本名である「大樋年朗」を名乗り、二つの名前を使い分けています。また米寿を迎えた2016年には「長左衛門」の名を長男・年雄に譲り、「大樋陶冶斎」を襲名しました。
2020年には現代工芸美術家協会会長に就任、翌年には石川県立美術館で個展を開催、また国宝薬師寺東塔の大修理に際し茶碗を奉納するなど94歳を越えた今もなお旺盛な創作活動を行っています。
主な作品所蔵先は宮内庁、東京・京都国立近代美術館、日本芸術院会館を始め、メトロポリタン美術館、ルーブル美術館、ハーバード大学美術館など国内外多数の主要美術館にわたり、 作陶70年の輝かしい業績を知ることができます。
楽焼と並んで称される地方随一の楽窯で、大樋焼の起源は今からおよそ360年前の寛文年間に加賀藩主前田綱紀が千宗室「仙叟」を茶道奉行として招いた際、楽家4代一入に師事していた最高弟子を同行させたことに始まります。この弟子こそ初代長左衛門で、大樋村一帯に広がる田畑の良質な粘土を使って加賀藩の茶道用陶器を調製したのが今に伝わる大樋焼の発展へと繋がりました。
大樋焼には茶の湯にかなった多くの工夫が施されています。
多孔質な粘土を使い、手びねりの技法で作られるのも その条件を満たすためのひとつ。厚みのある形状が茶の温度を保ち、手にした時の熱の緩衝材の役目も果たしています。また厚手に仕上げることで器が重くなるのを防ぐため、土にオガクズや珪藻土を加える工夫もされています。多くの器の胴部分にくびれがありますが、これも両掌にすっぽりと入り持ちやすくするためと言われています。もちろん機能的に優れているだけでなく、大樋焼の特徴である飴釉はたっぷりと厚くかけられたものが多く、その色も茶の色と調和し美しく映えるように選択され、趣深い茶の湯の精神性を感じとることができます。
現在は11代長左衛門に受け継がれた大樋焼は歴代それぞれ特徴のある名作を遺しています。今回ご紹介した大樋年朗作品の他、特に初代長左衛門、4代勘兵衛、5代長左衛門は名工としてその作品は現在も高く評価されています。
また一般的に茶碗を査定する際は、茶道具をいれる仕覆、箱、箱書きなどの付属品も判断材料となります。特に写真のように二重の箱を持つものや、内箱に箱書きのあるものは器とその伝来も鑑賞の対象となるため、高値での取引が可能となる場合があります。
身辺整理などでご処分をお考えのお品をお持ちでしたら、いわの美術までご連絡ください。
ホームページやLINEに写真を送っていただくだけで、簡単に無料査定が可能です。
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