東北地方の工芸品として知られるこけしは、ロクロで挽いた木製の人形のことで、球状の頭と円筒状の胴からなり、手足がないのがその特徴です。無彩なものを除けば、おもに女の子の姿をかたどり、表情は柔和な微笑みをたたえたものが多く、どこか郷愁を誘います。産地ごとの形態や描彩の特色が見ていて楽しいこけしですが、今では一言にこけしといっても、伝統的なデザインから自由な発想で発展した、おかっぱ髪の『卯三郎』などの新型こけし、さらには人気デザイナーとのコラボ作品などユニークな創作こけしまで種類も豊富で海外からの観光客にも人気があります。
江戸時代後期、東北地方の郷土玩具として作られたことをきっかけに、しだいに温泉地のお土産として日本各地に広まっていったと伝わります。東北の各地には多くの温泉湯治場があり、古くから農民たちは、農閑期には近くの温泉で骨を休めるのが習慣でした。そのような温泉場の近くに住み、木の碗やお盆など生活必需品を作っていた木地師と呼ばれる職人たちが、湯治客の土産物に端材を使って作るようになったのがこけしの起源となったと考えられています。小さな子どもが着物を着せたり、背負って歩けるような大きさや重さに、また銅も頭も丸くしたりと、子供が背負って転んでも怪我をしないように神経が行き届いており、このようなこけしが、遊び道具の少なかった東北の子ども達に受け、東北全都市へどんどん広まっていったのは十分にうなずけます。
また、初期のこけしはノコギリなどで底を挽いたため、完全に立つことさえままならないものが多かったようですが、職人たちの苦心や愛好家の熱意により、次第にりっぱなものになり、こけしに言い知れぬ温もりと素朴な美を見出したコレクター達にも次第に受け入れられ、おとな趣味の木製人形として変化していきました。
宮城県の鳴子周辺や遠刈田周辺では「こけし」、仙台では「きぼっこ、こげす、こけすんぼこ」、山形では「でく」など、こけしは地方ごとの方言で様々な呼ばれ方をしていました。しかし1928(昭和3)年こけしに関する最初の文献『こけし這子の話』を皮切りに、出版物が増えてくると名称の不一致による不都合が増えていきました。そこで、1940(昭和15)年、鳴子温泉にこけし研究家や木地師らが集まって会合を開き、議論の末に「こけし」に統一することが採択されました。
戦後、こけしの技法を受け継ぎつつ、より自由な形やデザインを求めて登場したのが「新型こけし」「創作こけし」などと呼ばれ、一方で従来から東北で作られてきた11系統の伝統的なこけしを「伝統こけし」と名付け、両者を区別するようになりました。
伝統こけしは、いまでも東北地方の全県下で作られ、なかでも有名なのは頭にベレー帽のような多色のロクロ線模様とカラフルな衣装をまとった弥治郎系、首を回すとキュッキュッと鳴る鳴子、花模様などカラフルで多彩な遠刈田系(いずれも宮城県)、ロクロの回転を利用した独特の色付け技法の土湯系(福島県)、昔話にそのまま登場しそうな一筆目が古風な印象の木地山(秋田県)などがあります。
今、こけしは戦前、高度経済成長期に続く『第3次ブーム』を迎えています。第1次(1930~40年代)は文豪やインテリ層、第2次(1960~70年代)は中高年男性が熱心な収集家として知られ、今のブーム(2010年頃~)を支えているのは、こけし女子転じて『こけ女』と呼ばれる若い女性たちの出現です。素朴なかわいらしさに着目した「こけ女」たちのなかには、各地のこけしイベントに足を運んだり、直接こけし工人に会いに行ったり、と熱心なファンも多いといいます。こうした人気に支えられて、伝統こけしのみならず、「ミッフィー」「くまのプーさん」「スターウォーズ」などと言った人気キャラクターこけしや、2008年の宮城岩手内陸地震の教訓をきっかけに防災グッズとして誕生したLEDライト内蔵の「明かりこけし」などアイデアグッズが次々と登場しています。
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