弊社いわの美術では、江戸末期から昭和33年頃まで高級な鉄瓶を8代にわたり作り続けた龍文堂の鉄瓶をお買取りしております。
鉄瓶を作っている工房は数多く存在していましたが、その多くが材料不足や後継者不足などにより、廃業に追い込まれました。
そんな工房の中でも1・2を争う程有名なのが、今回ご紹介する龍文堂です。
1764年(明和元年)頃、四方龍文が古代エジプトから日本に伝わった蝋型鋳造(ろうがたちちゅうぞう)という技法を用いて鉄瓶を作り始めた事から龍文堂の歴史が始まります。
ちなみに蝋型鋳造(ろうがたちちゅうぞう)という技法は古代エジプトから日本に伝わりました。
日本に伝わった蝋型鋳造(ろうがたちちゅうぞう)は、飛鳥時代や奈良時代に小金銅仏
の制作で使用されるなどして、その後の日本に広く伝わりました。
その後、二代目四方安之助が初代四方龍文の跡を継ぎ鉄瓶制作を初め、龍文堂を名乗る様になります。
また、二代目四方安之助は技術力が高い事から、江戸時代から現在まで続いている程有名な工房、秦蔵六の初代や、亀文堂の創始者である波多野正平を弟子にされていたそうです。
二代目四方安之助の指導のおかげで、有名な工房秦蔵六と亀文堂が出来たと言っても過言ではございません。
鉄瓶は大きく分けて二種類ございます。
京鉄瓶
京都で作られた鉄瓶は、蓋が銅製で摘みが梅の形をしているのが特徴です。
また、鉄瓶の底には鳴り金と呼ばれる物がついていて、全体的に丸みを帯びた形が多く茶釜に取っ手をつけたようなお品物となります。
ちなみに、鳴り金とは鳴鉄とも書き鉄瓶や茶釜の内底に付けられた薄い鉄片の事を指します。
元々は古い茶釜の内底に鉄の層や水から出たミネラルがくっついたところにお湯が沸いた時の泡があたって音が出た事が始まりでした。
この状態を見た職人が、お湯が沸く時に出る泡の原理を利用して、お湯が沸いたとき音でわかるように作られたのが鳴り金です。
鉄瓶や茶釜を作った時に出る廃材の鉄材などを漆と鉄粉を練り合わせて作る金漆(かなうるし)で内底につけた事により、内底と鳴り金の間から細かい泡が出たときに音がなるようになっています。
南部鉄瓶
17世紀の初め頃、南部藩主が京都から釜師を呼び、茶の湯釜を作らせたのが南部鉄瓶の始まりです。
福岡で作られた南部鉄瓶は、蓋と摘みが一体型となった鉄製の蓋と、黒い肌が多いのが特徴です。
また、京鉄瓶のように鳴り金もついていません。
鉄瓶の有名な工房
亀文堂・金寿堂・精金堂・金龍堂・光玉堂・英青堂などなど
弊社いわの美術では、龍文堂の鉄瓶をお買取りしております。
コレクションや、買ったけど使用していない龍文堂の鉄瓶のご売却をお考えでしたら、ぜひ一度いわの美術までお問い合わせ下さい。
また、鉄瓶の買取ではお品物の状態・作家・工房・箱の有り無しがとても重要になります。
とても有名な作家や工房の作品であっても、鉄瓶の内部がサビで穴が開いていたりすると査定額はガクッと下がってしまいます。
こういった鉄瓶のサビは使用された後の水分のふき取りが十分に行われていなかった事が原因で起こるのです。
なので、売却を考えていない鉄瓶であっても売却する際きれいな状態で売るため使用された後はきれいに水分を拭き取り乾燥させてから箱に仕舞いましょう。
また、お品物が入っている箱も大事な査定基準となります。
査定依頼のお電話を頂いた際によくお聞きするのが「箱は捨ててしまった」というお話です。
確かに、お品物をコレクションとして飾る際箱を一緒に飾る方は少なく、今後必要ないと思って捨ててしまう方や、物置や蔵から出てきたが箱が汚いので捨ててしまったという方も多いと思います。
ですが、お品物が入っていた箱は作家名などが書かれていればお品物の保証書代わりとなり、大変重要な物になります。
有名な方の作品でも箱がないと通常の査定額よりもかなり下がります。
なので箱はなるべく捨てない事をお勧めいたします。
茶道具・華道具・書道具・絵画・浮世絵・西洋美術・お酒・洋食器・ガラス工芸品・彫刻
中国美術・日本刀・甲冑・武具・掛軸・郷土玩具・和食器などなど