東郷青児作品をお買取りいたします【2023年買取・新着情報】

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新着情報

東郷青児作品をお買取りいたします

2023.9.26

詩情あふれる美人画で人気を博した画家・東郷青児


東郷青児(本名・鉄春)の手掛けた作品はキャンパス画のみならず、本の装丁や雑誌広告、雑貨デザイン、洋菓子店の包み紙、化粧品のパッケージや漫画、劇場のどん帳や壁画にいたるまで驚くほどバラエティに富んでいます。東郷の手掛けたデザインは、昭和時代を過ごした年代ならば、家族と出かけたデパートや母親の鏡台の上などで何気なく目にしていたのではないでしょうか。特徴のある少女像はどこか懐かしく、その夢みるような風情は今なお甘い感傷を呼び起こします。


略歴

東郷青児は1897年に鹿児島で生まれ、東京で育ちました。少年時代に大正ロマンを代表する画家・竹久夢二の店「港屋絵草紙店」で下絵書きなどを手伝う経験を経て、ドイツから帰国したばかりの作曲家・山田耕作に出会い、ヨーロッパでの新しい美術運動を学びます。18歳で日比谷の画廊にて初個展を開催したのをきっかけに、生涯の師と仰ぐ、二科会の創立会員であった有島生馬と出会います。有島のすすめにより、第3回二科展に初めて出品、19歳でパラソルさせる女』で初入選、プロの画家でも至難の業とされた二科賞まで受賞しました。天才少年画家の名声を獲得し、前衛画家として華々しいデビューを飾った東郷は、24歳で留学のため渡欧。7年間の滞仏中に、ピカソ藤田嗣治など当時の最先端をゆく画家たちと交流しています。帰国後は「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を生涯のモットーに、柔らかな曲線と色調で表現した美人画で多くのファンを魅了しました。


画家・東郷青児の功績

1931(昭和6)年、34歳で二科会に入会、1938年に吉原治良ら、前衛的な作家が二科会に〈九室会〉を結成した際には、藤田嗣治と共に顧問を務めています。

1950年代に入り、大壁画『平和と団結』を京都の朝日会館に制作するなど精力的な作家活動を繰り広げ、その世界観は「限りなく美しい」と評されると同時に、「芸術とはいえない工芸品」などと批判を受けるようにもなりました。しかし、30代で既に「自らの素質に生きる」ことを決意していた青児は、「僕は自分の持って生まれた感性に満足している。作品の前に立ち、静かな美しさを感じてもらえば、それで充分だ」と語り、批判を意に介しませんでした。

1960年より日本芸術会員、翌61年には二科会会長に就任、派手な前夜祭を開催するなど、大々的なパフォーマンスで宣伝に尽力した青児は、「二科会の帝王」などと呼ばれ、戦後の日本洋画壇をリードする存在として躍進を遂げます。活躍は国内のみならず、1969年にはフランス政府より「長きに渡り日仏の文化交流に貢献した」として芸術文化勲章を授与、1975年にはエジプト、翌76年アルジェリアで二科展を開催しています。勲二等旭日重光章を受賞した2年後の1978年、二科巡回展のテープカットのために訪れていた熊本にて突然の病に倒れ、この世を去りました。享年80でした。


日本画壇史上最高のプレイボーイ

東郷の若かりし頃の写真を見ると、まるで今なにかと話題のジャニーズタレントのような顔立ち。東郷のプレイボーイぶりがそれで読者の腑に落ちるか否かはひとまず脇に置かせていただいて。

その画家の名前を聞いてまず思い浮かぶのは女性たちとのスキャンダルという方もいらっしゃるのではないでしょうか。恋多き、女性遍歴をざっと挙げてみます。

パリ留学の前年、23歳で資産家の娘・明代と結婚、妊娠中の妻を残して渡航します。その後、追って妻子もパリに渡りますが生活が困窮したため母子のみ帰国。31歳の時、なんの前触れもなく妻子の住む東京・北蒲田にもどり、家族3人の生活を始めます。

家庭内別居状態が続き、明代と離婚協議中であった東郷は、長身で色白、長い首と手足の美しさが印象的な19歳の女子大生、盈子(みつこ)と恋に落ち、なんと初対面で結婚を申し込みます。しかし、彼女の両親に反対され一度は別れを決意。傷心の画家はさらに、大富豪令嬢の修子と出会い結婚式を挙げ、まさかの二重結婚を試みます。その後、関係を復活させた盈子とナイフで首を切り、ガス自殺を図って心中未遂事件を起こし、これが新聞に載る一大スキャンダルに。そして、東郷のもとに事件の取材に訪れた宇野千代と意気投合し、再会したその日に同棲生活を始めます。宇野千代との約5年間の同棲生活を経て、一度は親のすすめる結婚をしたものの、破れた盈子と再会。ここにきて妻・明代と離婚、盈子とよりを戻したのことを知った千代とも別れ、生死をかけた恋は紆余曲折を経て成就、東郷42歳の時に晴れて盈子と入籍しました。

なんたる複雑な人間関係、書いているだけでも壮絶すぎて目が回ります。ただ、宇野千代はのちに「青児の描いた作品には終始変わらず、ひとりの女性の面影があった」と語ったほか、心中未遂事件の後、東郷自身も、ある婦人雑誌に手記を発表し「私はただ、彼女を期待してやまない。彼女は私にとって永遠の太陽である」と盈子への愛のことばを残しています。たくさんの恋をしつつも、実は生涯追い求め、描き続けた女性は盈子ただ一人だったのかも知れません。そんなところにも、東郷青児のロマンティストぶりが表れているのではないでしょうか。




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