今回ご紹介させていただくお品物は薩摩焼煎茶器揃です。
白色の胎土に透明釉をかけた白薩摩は、表面に微細なひび割れ(貫入)があるのが特色のひとつで、そのことから『ひび焼』などとも呼ばれています。急須、湯冷まし、5客の湯呑みがセットになった本作品にはそれぞれ優雅で繊細な錦手が施され、細かな細工が白薩摩の白色の美しさを際立たせています。
薩摩焼と聞くと、白い素地に赤、緑、紫などの色絵付や金襴手が豪華絢爛な白薩摩(白もん)を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。あるいは茶道をたしなむ方であれば、「古薩摩」と呼ばれる茶入を連想されるかもしれません。また、民芸品が好きな方にとっては、苗代川や龍門司で焼かれた甕や壺、茶家(チョカ=土瓶のこと)や徳利の一種であるカラカラなど、重量感のある黒薩摩(黒もん)がなじみ深いでしょうか。
このように一口に「薩摩焼」といっても、同じ起源を持ちながらもさまざまな系統を持つ多彩さが、その特色の一つともいえます。薩摩焼は、2002年に国の伝統的工芸品に指定されています。
薩摩焼の歴史は、今からおよそ400年前にさかのぼります。古伊万里や高取焼など他の九州の窯場と同じように、豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役(1592-98)に、朝鮮半島から島津義弘が連れてきた陶工によって始まりました。渡来した陶工たちが藩内各地に窯を開き、それぞれ特徴的な陶磁器生産を展開したことで薩摩焼は発展していきます。
それらの窯は現在では、苗代川系、竪野系、龍門司系、西餅田系(西立院系とも)、平佐系、種子島系などに分類されますが、現存する窯は、苗代川系、竪野系、龍門司系の3窯場です。
1598(慶長3)年、島平に上陸した陶工・朴平意らが串木野窯を開きましたが、土地の人たちからの迫害にあい、わずか5年後の1603(慶長8)年に苗代川に移住、築窯したと伝わっています。苗代川の主な製品には、黒釉や褐釉をかけた壺やかめ、すり鉢などの大型日用品があります。
竪野系窯場の始祖として、朝鮮陶工・金海(きんかい)が開窯したと伝わっています。金海は島津義弘とともに来日し、義弘の庇護のもとで茶入・茶碗など多くの茶道具を製作しました。その作陶の巧みさから星山仲次の和名を授かり、以後、代々襲名されました。開窯初期に作られていた竪野系を「古薩摩」と呼び、白薩摩の起源になったとも考えられています。
朝鮮陶工の卞芳中(べん ほうちゅう)らが開窯したと言われています。苗代川系とは異なり、大型品ではなく、主に碗や皿、カラカラとよばれる徳利など、小型の食器類を生産していました。サメ肌釉、玉流釉、三彩など、釉薬を使ったさまざまな陶技で知られています。
際立つ透明感と精巧な細工の「白もん」、素朴なぬくもりで使う楽しみの「黒もん」を代表に、さまざまな特徴や種類をもつ薩摩焼は、今回ご紹介した茶道具のみならず、花入などの華道具、香炉のような香道具も含め、根強い人気があります。なかでも、金襴手の時代ものや、歴代の沈寿官作陶の品、明治期に作られ海を渡った里帰り品などは特に高値で取引されています。
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