写真のお品物は、いわの美術でお買取りいたしました会津八一の書画です。
会津八一は歌人・書家として知られています。
短冊に俳諧を記すことを切っ掛けに書道を始め、独創的な書に徹し書法を確立しました。
この点はほかの書家と大きく異なり、一般に書道では名作といわれる過去の膨大な書作品の臨書(書道でいう模写)をしないことは異例とも言え、自作の短歌の世界観をより強く表現するものとなりました。
その一方で教育者、東洋美術史家としても活躍し、近代日本の黎明期に広範囲に影響を与えた一人です。
新潟県新潟市にて1894年に生まれ、旧制中学時代から万葉集や良寛の歌を愛読します。
文学的素養を早くから培った会津八一は、大学進学で上京すると早稲田大学文学部で英米文学を専攻し、このころ美術との出会いも起こります。
卒業後は新潟県にUターンし高校の英語教員として勤め、この頃の奈良旅行で仏教美術に本格的な関心をもつに至り、俳句から短歌へ移行する契機となりました。
ふたたび上京して早稲田大学中学校の英語教師に就任し、1914年に東京都小石川区へ転居すると自宅を「秋艸堂」と名付け、「秋艸道人」の号で創作活動も行います。
1920年代に入ると初の歌集を出版、東洋美術の研究にも邁進し、ついに英語から美術史の教員に転向し、早稲田大学の東洋美術史学講師となります。
1933年に博士号を取得すると、翌々年の文学部芸術科創設に伴って教授に就任しました。
短歌と書の作品を展示会で販売し、その利益の多くは古美術品の購入に充てられ、教え子に実物鑑賞の機会を設けたと伝えられています。
しかし第二次世界大戦の末期、早稲田大学退官と時を同じくして空襲で秋艸堂が焼け落ち、新潟に戻る事になります。
大地主の別邸に住まい、南浜・秋艸堂と称して亡くなるまで住み続けました。
新潟でも歌集と書画図録の出版に歌碑の建立、揮毫など現在まで伝わる作品を残し、復興後の早稲田大学に会津博士記念東洋美術陳列室を再開し今日に至ります。
没後、南浜秋艸堂は北方文化博物館新潟分館となり、多くの文化芸術を遺しています。
会津八一の書作品の多くは額装または軸装されています。会津八一には記念館があり、真作であることの証明として、会津八一記念館発行による証明書が添付される場合もあります。
また、書家である会津八一は書簡でも流麗な筆文字が余すことなく発揮され、こちらも中古美術市場で高値でのお取引が散見されるなど人気があります。
いわの美術では骨董品・古美術品を中心に幅広くお買取りを行っており、中古市場で需要の高いお品物を高値でお買取りできるよう尽力しております。
ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫の整理でご売却をお考えの会津八一作品・書簡などがありましたら、ぜひいわの美術にお任せくださいませ!