アンディ・レイキーの絵を所有したり触れたりすると、スピリチュアルな体験をすると言われています。
そんなアンディ・レイキーは過去に薬物による瀕死状態を天使に助けられ立ち直り、慈善事業にも貢献する偉大なアーティストとなった奇跡の存在です。
Andy Lakey | アンディ・レイキー |
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1959年~2012年 | |
出身 | フランス |
移住 | アメリカ(1961年 当時2歳) |
アンディ・レイキーはフランス生まれで、2歳の時にアメリカに移住しています。
米海軍に在籍した後、自動車販売の仕事に就きますが重度のコカイン中毒者となってしまいました。
1986年ニューイヤー・イブのパーティで薬物の過剰摂取により臨床体験をします。
その時 瀕死のアンディ・レイキーを救ってくれたのは天使達でした。
翌日からアンディ・レイキーはコカインを断ち、薬物を使うことを絵を描くことに置き換えます。
アンディ・レイキーはそれまで正式なアートの勉強はしておらず、初めて絵筆を手にしましたが、天使達が自分を救ってくれた光景を鮮明に思い出すことにより作品を作り上げました。
知名度が上がり『ミレニアム・アーティスト』と呼ばれ始めた頃、アートに専念する為に自動車販売の仕事を辞め、その翌年1990年から10年の間に2000枚のエンジェルの絵を描くこととなります。
2000枚の由来はキリストの誕生から西暦2000年まで、1年を1枚として2000枚としたそうです。
1990年1月1日~1999年12月31日の間に、2000枚のエンジェルの絵を完成させました。
厳密には2000枚目は1998年に絵の部分が完成しており、1999年12月31日にサンフランシスコのイベントでサインして完成としたそうです。
(1999年に絵の作成をほとんど行わなかったのは、後述の病気療養が関係しています。)
この2000枚のエンジェルの絵は、アンディ・レイキーの代表作として広く知られることとなりました。
テレビやニュースで特集を組まれたり、コレクターはローマ教皇や大統領、モナコの王族や芸能人など、その人気や信頼が伺えます。
アンディ・レイキーは通常、浮き彫りの技法を好んで使用していました。
ミクスドメディアとペイントがキャンパスから盛り上がっている3Dの絵は『タッチアート』とも呼ばれます。
タッチアートである作品が目の不自由な人に対するアートとしてテレビで特集され注目を浴び、アンディ・レイキー自身も視覚障害者の支援アートショーや寄付、チャリティープロジェクトなど積極的に貢献しました。
塗料に含まれる有害物質により、慢性的に健康を害していたアンディ・レイキーは1999年に絵の制作を休止し手術を重ねています。
2000年以降は木のミクスドメディアで作品を制作しました。
2010年頃には手の震えが発症し、作品スタイルはさらに簡略化され、『ミニマリスト』として独自の分野を開拓します。
2012年頃には健康を守る為に防護服を着て、それでもなお作品を作り続け、最後はアトリエで倒れ生涯を終えました。
現在もアンディ・レイキーの人気は高く、日本では年に幾度かの個展が開催されています。
ハートモチーフやポートレートなども手掛けていますが、天使のモチーフが一番人気です。
特に2000枚のエンジェルの絵が作成された1990~1999年の作品であれば、良いお値段が期待できます。
天使の中でも特に支持が高いモチーフは、4大天使である ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルです。
それぞれに意味があり、役割があり、必要としている人の需要によっても価格は変動します。
作品の保管状況、鑑定書や付属品の有無などによっても価格は異なってきますので、気になる場合は一度無料鑑定をお試し下さい。
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