傅益瑤の水墨画をお買取りいたします。【2020年買取・新着情報】

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新着情報

傅益瑤の水墨画をお買取りいたします。

2020.2.17

傅益瑤の水墨画作品をお買取りいたします!

 


傅益瑤(フ・イーヤオ/ふえきよう)は1947年に中国の南京で生まれ、父である20世紀中国水墨画の大家、傅抱石から多大な影響を受けて育ちます。

傅抱石(ふほうせき)は1933年に日本へ留学し帝国美術学校(現武蔵野美術大学)で学び、東洋美術学者の金原省吾に師事しました。

画家であり美術史家、篆刻家でもあった傅抱石は、古典的画題はもちろん先進的な表現も試み、北京の人民大会堂に収められている「江山多嬌」では、写実的でこれまでにない構図に挑戦しています。


傅益瑤は幼少の頃から父の手ほどきで水墨画を学び画家を志しますが、文化大革命が迫る不穏な1965年に父は逝去します。

翌1966年から文化大革命が本格的に始まり、黒を悪とし伝統文化や芸術を否定する文革派に水墨画は迫害されます。

傅益瑤は南京師範大学を古典文学専攻で卒業し、高校教師や南京博物館に勤務していましたが、中国南西部の農村に下放されます。


厳しい暮らしを強いられながらも、豊かな自然風景の中で、絵画の技術のみならず父から教わった文化人としての矜持を胸に、水墨画で画家になる夢を諦めませんでした。

1976年ついに文革が終結宣言され、その3年後に日本へ留学し、父も学んだ武蔵野美術大学で塩出英雄に、東京芸術大学大学院では平山郁夫に日本画と水墨画を学びます。

平山郁夫との出会いから仏教美術へも視野が広がり、1988年に比叡山開山1200年を記念して横浜の安禅院円満寺に納められた大壁画「比叡山延暦寺」と「天台宗国清寺」は、日本の美術界と仏教界の双方から高く評価されました。

二度目の転機となったのは日本の祭りとの出会いで、文革で失われた故国の伝統と、故郷の生家で重んじていた節句の祝いを思いながら、傅益瑤は日本の祭りを描きはじめます。

1990年に日本全国各地を渡り歩いて集めた祭りの絵を「五彩十二祭」に纏め発表し、以降も華やかな祝祭から、荒々しい祭りまで様々な地方を訪問し描く活動を続け、1995年に神道文化奨励賞を受賞します。

仏教美術でも1996年に延暦寺国宝殿に奉納した「仏教東漸」、曹洞宗本山永平寺の「祖道傳東図」や京都三千院の障壁画など活躍し、松尾芭蕉の足跡を追った奥の細道シリーズでも話題に上ります。

日本で画家としての地位が確立し、2000年のニューヨークを皮切りにスイス、香港、シンガポールなどで個展を開催、そして2004年に北京の国立中国美術館での個展開催で凱旋帰国を飾りました。

以来、景徳鎮での染付磁器作成や、上海辞書出版から自著を出版し、日中の文化交流における発信者の役割も担うようになります。

日中の文化交流の要は書画と文学にあるとして、テクノロジーが発達した現代においても、水墨画に特有の力強く多彩な表現力は必須のものであると発信し、父から受け継ぐ芸術への信念と、圧倒的な画才をもって現在も活動を続けています。



傅益瑤の水墨画作品をお買取りいたします!

文革後の来日から日本での活動が長い傅益瑤の作品は、日本の美術市場でお取引がみられます。

特に祭りを描いた作品・水墨画の古典である山水画が蒐集家に好まれ、中古美術市場でも今後高値でのお取引が増えると見込まれています。

いわの美術では骨董品・美術品を中心に幅広くお買取りを行っており、専門の査定員が拝見し、中古市場を鑑みた最高値でのお買取りができるよう尽力しております。

ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫の整理などで、ご売却をお考えの傅益瑤の水墨画作品がありましたら、いわの美術にお任せくださいませ!

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