昭和・平成時代に巨匠として君臨を続けた清水卯一の陶芸作品は、斬新でありながら人々に安らぎとぬくもりを与え、令和を迎える現在も高い人気を誇ります。
清水 卯一 | しみず ういち |
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1926年~2004年 享年77歳 | |
陶芸家 | |
受章 | 1985年 人間国宝 |
1986年 紫綬褒章 |
京都の清水焼で知られる五条坂に生まれた清水卯一は、陶芸の卸問屋跡取りでした。
昭和初期の陶器制作は、卸問屋が指示を出して職人達が分業していました。
跡継ぎになることよりも職人になることを選んだ清水卯一は15歳の時、当時無名であった石黒宗麿(後の人間国宝)に弟子入りして中国陶器を学びます。
戦時中であった為 数ヶ月のみの師事でしたが、石黒宗麿の土造りから窯焚きまで全て自分で制作するスタイルは、清水卯一も受け継ぎ生涯貫き通した手法です。
戦後は人々に「心やすまる、温かみのある作品を観ていただきたい」との思いを込めて、実家の卸問屋の敷地内に設けた陶房を中心に制作を続けました。
清水卯一は1951年の日展入選を皮切りに、国内外で数々の賞を受賞し広く知れ渡ることとなります。
1970年、滋賀県湖西地方の蓬莱山の麓に工房を移転し、登り窯の蓬莱窯を築窯しました。
原材料として蓬莱山の土と石を自ら発掘し、土は磁土に精錬、石は粉砕して釉薬となり、これらの原材料が使われた作品は好んで『蓬莱』の文字が含まれます。
今回いわの美術でお買い取りの『蓬莱月扁壺』もこの蓬莱山の原材料から制作された作品で、非常に価値が高いお品です。
清水卯一は晩年まで蓬莱窯で制作を続けました。
清水卯一は戦後の人々の心を癒やしたいと柚子肌釉を生み出しました。
柚子肌釉を用いた『柚子肌釉大皿』は1951年の日展初入選作品です。
その後も様々な釉薬に挑戦しますが、特に評価の高い釉薬は1958年にブリュッセル万国博グランプリ受賞の『柿釉深鉢』の柿釉、1985年人間国宝認定『鉄釉陶器』に用いられた鉄釉です。
鉄釉の中でも、油滴天目のように油滴釉が銀色のドーナツ状に美しく並ぶ『鉄耀(又は蓬莱耀)』と呼ばれる作品には、鉄耀釉が用いられています。
鉄耀釉は京都と滋賀の県境の工事現場から出てきた黒い石から、2年間試行錯誤して生まれたそうです。
こちらの『鉄耀』は油滴天目の再現に成功した作品として、中古市場で特に人気が高いシリーズになります。
清水卯一の息子の清水保孝、孫の清水志郎がそれぞれ陶芸の道へ進んでいます。
保孝が京都五条坂の商家をリニューアルオープンしたギャラリーは、親子三代の作品が気軽に見られるそうです。
いわの美術では、清水卯一の陶器作品を非常に高く評価して、お買い取りいたしております。
清水卯一の作品は、以前いわの美術で「片付けたい」とのことで伺った家に転がっていたことがありました。
意外と身近にある作品かもしれません。
倉庫の整理や遺品整理でも出てくることも多い作品です。
今回お買取りの蓬莱月扁壺は、清水卯一が人間国宝認定された時期から見られる作風で、釉薬を拭って文字『月』を描いています。
最も成熟していた時期の作品であったことと、共箱・共布・共栞 付きであったので高額でのお買取りとなりました。
清水卯一はコレクターが多く、未だに世界での注目度も高く、高額買取りが期待できる作家です。
清水卯一の作品や、清水卯一の作品かもしれない陶器のご売却をお考えの場合は、是非いわの美術までお問い合わせ下さいませ。
清水卯一の市場価値の高さを熟知し、買取実績も豊富ないわの美術が丁寧に査定しお買取りさせていただきます。