今井俊満は日本とパリを拠点に活躍した洋画家で、日本にアンフォルメル(抽象表現主義)を持ち込み旋風を巻き起こしました。
そのダイナミックで重量感あふれる作風に始まり、その後 大胆に何度も変貌し続けた前衛芸術家です。
今井 俊満 | いまい としみつ |
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1928年~2002年 | |
洋画家 | |
受章 | 紺綬褒章 (1979年) |
フランス 芸術文化勲章オフィシエ (1983年) | |
フランス レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ (1995年) | |
フランス 芸術文化勲章コマンドール (1997年) |
今井俊満は京都嵐山の渡月橋畔にある別荘で生まれます。
裕福な家であったので書画・骨董に囲まれて育ち、幼い頃からよく絵を描きました。
高校時は梅原龍三郎、安井曾太郎などに師事し、東京藝術大学美術学部油絵科で1年間派遣学生として学んだ後、1952年 24歳で単身フランスへ私費留学に渡ります。
当時フランス美術界を圧巻していたのは、アンフォルメル(フランス語でArt informel、非定型の芸術)であり、絵の具を激しく盛り上げてモチーフは何か判らないほど抽象化されていました。
今井俊満も巨匠サム・フランシスや評論家ミシェル・タピエと交流しアンフォルメル運動に参加、1955年頃から自身の作風も具象から抽象へと変化しました。
日本で初めてアンフォルメルが紹介され爆発的な旋風を起こしたのは1956年の『世界・今日の美術展』(東京日本橋の高島屋)であり、この開催に向けて岡本太郎から今井俊満を通じてミシェル・タピエのコレクションの斡旋があったとのことです。
翌年パリのスタドラー画廊で開催した個展の成功で国際画家の地位を築き、続いて日本に一時帰国し、相次いで来日したミシェル・タピエ、サム・フランシスなどと共にアンフォルメル運動のデモンストレーションを行いました。
以後は日本とフランスを行き来し両国で精力的に活動し、更に美術を通した国際交流でも活躍することとなります。
今井俊満の作品は、アンフォルメルの中でも絵の具の盛り上がりが特に厚く、飛び散った絵の具をわざと入れるなどの痕跡が特徴で、かつ大胆でエネルギーに溢れています。
その後1983年頃に作風を大きく変化させ、日本の琳派の様式美に回帰し、和の題材『花鳥風月』をテーマにしました。
シルクスクリーンに金銀を用いた豪華絢爛な装飾に、パターン化されたモチーフが特徴で、日本の伝統的な型染め文様を用いた型押し技法が特徴です。
今回お買取りした『花鳥風月 紅葉賀』も紅葉の葉のパターンの他に波や花のパターンも用いられています。
この花鳥風月は今井俊満の中でも特に人気が高いシリーズです。
1992年に急性骨髄性白血病を発病するも絵は描き続け、1995年に発表した『ヒロシマ』シリーズでは再び作風を変え、戦争や原爆をテーマにします。
原爆投下による悲惨でショッキングな光景を生々しく描き、戦争の恐怖と愚かさを訴えました。
晩年は癌に侵され余命数ヶ月の状態でも前衛芸術家であり続け、今度は大胆にもコギャルを芸術のテーマとします。
実際に街でコギャルに話しかけていたりしたそうで、バイタリティが溢れるポップな作品を描き続けました。
今井俊満は花鳥風月でシルクスクリーンの作品を出しており人気が高く、作品の出来の他に、発行部数が少ないほうが貴重価値が上がりより高い価格が期待できます。
更に油絵や原画などの肉筆画は、中古市場でも珍しい貴重品で、価格にも大きく反映されます。
対して、画集などの印刷物はサイン入であってもあまり良いお値段はつかないでしょう。
作品の状態も価格に大きく変動しますので、査定に出す際はダメージなどもお知らせ下さい。
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共箱やタトウ箱、鑑定書などの付属品はプラス査定になりますので、お持ちの場合は必ず一緒にお出し下さい。
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今回お買取りした『花鳥風月 紅葉賀』は人気の花鳥風月シリーズであり、E.A.(作家が自分自身やお世話になった人や美術館に贈呈する為に刷ったエディション)であり、状態も良かったので高価買取となりました。
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