弊社では以前にも岩田藤七作品のお買取りをいたしておりました。現在、岩田藤七『吹き硝子 華文水鉢』お買取りを強化しております。
岩田藤七『吹き硝子 華文水鉢』ご売却を検討中の方は、洋食器のお買取りに強い、いわの美術までお問い合わせください!
岩田藤七は1893年東京都中央区日本橋生まれのガラス工芸家。呉服商の息子として生まれた岩田藤七は東京芸術大学に進学、彫金・洋画・彫刻分野を修めた。
19世紀末から20世紀に駆けてヨーロッパを中心に、鉄やガラスといった新規的無機物を媒体とした新素材を活用した国際的美術運動である「アールヌーボー」の影響を受け、ガラス工芸の道を修めることを決めました。
昭和初期はまだガラスは工業製品としてしか認知されていなかった時代で、岩田藤七は独学で色ガラスの制作方法を学び、自ら工場を開き工芸品制作に着手いたしました。
岩田藤七はガラス作品制作に必要不可欠となる職人を育成しながら、その独創的な世界観でガラスの成型加工技術を追い求め、これまでただの工業製品であったガラス製品を、美術作品としての色ガラス工芸品へと昇華させることに尽力した開拓者でもあります。
岩田藤七の作品はガラスという無機物を扱った作品でありながら、その作品はとても色彩に富んでおり、かつ流動的なデザインで使う人の感情に暖かさを感じさせます。
日本人らしい美術的センスを基とした日本独特のガラス作品を心掛け、花器や食器、茶器などの制作をいたしました。そして、色ガラスを用いた装飾壁画「コロラート」を生み出し、近代ガラス建築分野への活用という新規分野開拓にも尽力しました。
1928年~1930年、帝国美術展覧会に連続で特選を受賞。
1931年、岩田硝子製作所を設立。
1933年、帝国美術展覧会にて不遇な陳列に抗議し、その主張が認められるなどガラス工芸の開拓者としての認識をより高めることとなる。
1936年、第二回の個展を開催時から、いけばな草月流の華道家勅使河原蒼風との共同作品を発表し、成功を収めこれ以後も共同作品を制作する。
1950年、日本美術展覧会参事就任。
1951年、第七回日本芸術院賞を受賞。
1954年、日本芸術院会員に推される。
1958年、日本美術展覧会顧問となる。
1968年、岩田藤七大回顧展を開催、これを機に毎日新聞社より「岩田藤七ガラス作品集」が刊行される。
1970年、文化功労者に選ばれる。
いわの美術では岩田藤七『吹き硝子 華文水鉢』のお買取りを強化いたしております。
岩田藤七のガラス工芸作品は人気が高く、高価お買取りを期待できます!
状態の良いもので、かつ共箱入りですと評価額がさらに上がります。
お問い合わせの際はお電話か、メールにてお受けいたしております。
岩田藤七『吹き硝子 華文水鉢』ご売却を検討中の方は、是非いわの美術までご一報ください!